粗末な寝台に座り込んだ幼いキリエ。細い手足に刻まれた多くの擦り傷に、ロレインが薬を塗ってゆく。泣きじゃくり、痛みを訴えるキリエを見上げ、眉をひそめる。丁寧に包帯を巻くと、キリエの手を握って真正面から見据える。
「どうして垣根に上ったのです?」
しゃくり上げるキリエは、答えようにも答えられない。美しい修道女は小さく溜息をつく。
「外へ出てはいけないと、あれだけ言っておいたのに……」
「だって……!」
涙をぽろぽろ零しながら、キリエは搾り出すように囁いた。
「だって……、村の子たちが……、遊んでいるのが見えて……」
ロレインは辛そうに顔を歪めた。時々、キリエが教会の窓から村の様子を羨ましそうに眺めている姿を見かけていた。教会を出てはならないと何度も言い聞かせてはいたが、まだ幼いキリエに理解できるはずもなかった。自分と同じ年頃の子どもたちが遊んでいる姿を見かければ、そこへ行きたいと思うのは当然だ。だが……。
「教会の外は、怖い所ですよ」
「嘘……! だって、そんな怖いものなんかないもん!」
「キリエ、目に見えるものが全てではありませんよ」
「そんなの、わかんない……!」
ロレインは言葉を詰まらせるとキリエを抱きしめた。
「……ロレイン様……。どうして、私だけ、教会を出ちゃいけないの? どうして……」
「……あなたを守るためです。あなたを狙う怖い人がたくさんいるのです。でも、教会にいれば大丈夫。……大丈夫なのですよ」
「いつか……、外に出てもいいの?」
キリエの問いかけに、ロレインは答えに窮した。キリエはいつかここを出てゆく。だがそれは、もっともっと先のことだ。そして、出て行った先は……。
「……あなたは、ここにいた方がいいのよ」
「ロレイン様……」
「どこへも行かず……、ここにいた方が……。でも、あなたが言いつけを守らず、ここを出ていってしまったら、私はあなたを守れない……」
耳元で語られる言葉にキリエが眉を寄せる。ロレインの手が背を優しく撫でてくれる。
「お願い……。あなたを守らせて……」
「ロレイン様……」
キリエはロレインをぎゅっと抱きしめた。
「わ、私、ちゃんと言いつけを守ります……! だから……、行かないで……! 私を一人にしないで、ロレイン様……! どこにも行かないで!」
だが、不意にその手から温もりが消え、辺りが真っ暗な闇に閉ざされる。
「……ロレイン様? どこ? どこに行ってしまったの……」
「ロレイン? ロレインは死んだぞ」
低い声が響き、キリエは息を呑んだ。と、暗闇から土色の老人がぬっと顔を出し、悲鳴を上げて後ずさる。老人は枯れ枝のように細い腕をゆっくりと振り回しながら虚ろな声を響かせた。
「ロレインは死んだ。おまえが殺したではないか。身勝手なおまえのせいで。おまえを慈しんでいたロレインは、おまえのせいで死んだではないか」
「……司教様……!」
キリエは顔を引き攣らせ、頭を抱えた。
「ち、違う……! 違うッ……!」
「おまえのせいで、皆が死んだ。皆が傷ついた。これからも、ずっと……」
「いや……! いやだ……! そんなのいやだ……!」
「逃げるのですか」
今度は背後から言葉を浴びせかけられる。思わず転がり込んで後ろを振り返る。そこには、引き裂かれた血塗れのシャツを体に張り付かせた若者が佇んでいる。髪は乱れ、顔も体も血と泥に汚れ、目だけが異様に大きく見開かれ、キリエをじっと凝視してくる。
「皆、あなたに殺されたのですよ。あなたのせいで苦しみ、傷つけられ、死んでいった。逃げ出すのですか。これまでの罪から!」
若者から顔を逸らし、耳を押さえて蹲る。
「も、もういやだ……! いやだ……! 助けて……!」
「いやだ……! いや……! やだ……ッ!」
キリエは呪詛から逃れるようにして髪を振り乱した。
「ロレイン様……! 助けて、ロレイン様……!」
「キリエ」
手を握られる。そして、温かい手が頬に零れ落ちた涙を拭う。
「いや……、いやだよ……!」
なおも暴れるキリエの頭を撫でる手。耳元で何度も名前を囁かれ、頬が優しい温もりに包まれる。思わず無意識に手を取る。手の主は安心させるようにしっかりと握り締めてくれた。キリエはようやく落ち着きを取り戻し始めた。それでもまだしゃくり上げる彼女の額に柔らかい感触が触れる。キリエはようやく目を開けた。視界に映る輪郭が徐々にはっきりとしてくる。
「あ……」
「キリエ」
もう一度名前を呼ばれ、瞳を瞬かせる。と、そこには眉をひそめ、おろおろとした表情の夫が頬を包み込んでいる。
「……ギョーム!」
キリエは跳ね起きるとギョームに抱きついた。子どものように泣き声を上げてすがりつく妻を、ギョームは慌ててなだめる。
「大丈夫だ。もう大丈夫だ。そなたは一人ではない。私がいる。大丈夫だ」
「ギョーム……!」
声を上げて泣き続けるキリエを、ギョームはしばらくの間抱きしめていた。
「……キリエ」
キリエの泣き声が少しずつおさまってくる。
「大丈夫か」
妻は体を起こすとまだ体を震わせながら頷いた。そして、見知らぬ室内に気づいてぎょっとする。
「ここ……、どこ……?」
「ヴェルサン城だ」
ヴェルサンという名にキリエは全てを思い出した。キリエは恐々と夫を見つめた。
「……オイールから、わざわざ来てくれたの……?」
沈痛の表情で頷くギョーム。
「到着してすぐに、そなたが倒れたと聞いて……」
ギョームは乱れたキリエの髪の毛を優しく撫で付けた。
「……二日間、眠り続けたのだぞ」
二日間? キリエは息を呑んだ。ギョームは顔を伏せると妻をそっと抱きしめた。
「……怖かった。……このまま、もう目を覚まさないのではないかと思うと……」
夫の言葉にキリエは胸が締め付けられた。ギョームがエレソナを抱いた結果、彼女は身篭った。だが、彼は今でも自分を必要としてくれている。なのに、自分は遠く離れたクロイツに……。
「……ごめんなさい。ギョーム……、私、もうどこへも行かないわ……。ずっとあなたの側にいるわ……。ごめんなさい……!」
ギョームは息を殺して妻を抱きしめた。やがてそっと体を離すと、静かに唇を重ねる。一ヶ月ぶりの口付け。今までと変わらない優しい口付け。キリエは、心のどこかで何かが解けていくのを感じた。
長旅の疲労を癒し、一週間後にキリエたちはオイールに向かった。出発前、キリエはオイールに戻る前にバレクランへ寄りたいと願い出たがギョームは許さなかった。
「駄目だ。先にオイールに帰ってからだ」
ギョームはどこか切羽詰った表情で言い聞かせた。
「行くなとは言わない。だが、そなたは私の妻だ。王都に一度戻ってから……、会いに行ってくれ」
キリエは夫に逆らってまでエレソナに会いに行くつもりもなく、大人しくオイールまで帰ることにした。
馬車に揺られながら、キリエは目の前のギョームをそっと見つめた。どこか痩せた感じがする。自分のことをあれこれと気遣い、労わってくれるが、ギョームも心労が重なっているはずだ。そこで、キリエはふと気がついた。まだ一度も、夫の口からエレソナの名を耳にしていない。
「……ギョーム」
彼は目だけ上げて妻を見つめた。
「……あれから……、エレソナとは会ったの?」
ギョームは表情を強張らせ、目を伏せると顔を横に振った。キリエは眉をひそめた。
「……会いに行ってあげて。一人で不安な思いをしているはずよ」
だが、彼は固い声色で呟いた。
「もう、会うつもりはない」
「ギョーム……!」
キリエは身を乗り出した。
「あなたの子を生んでくれるのよ」
「そなたの子ではない」
ギョームの鋭い声にキリエは言葉を失くした。馬車が軋む音が響く車内。重苦しい沈黙の果て、ギョームは気まずそうに顔を上げた。
「……彼女にも嫌な思いをさせた。すまないと思っている。だが……、無理だ。会えない。会いたくない」
キリエは口を閉ざすとギョームを見つめた。彼とエレソナは、自分以上に辛い思いをしているのだ。無理に会わせない方が良いだろう。キリエは黙って頷いた。ギョームは苦しげに目を閉じて呟いた。
「……子が出来なければいいと祈っていた。だが、出来なければまたエレソナに会いに行くよう廷臣たちが迫るだろう。……それも嫌だった」
夫が漏らした言葉に、キリエは思わず涙ぐんだ。そして、涙声で囁く。
「……生まれてくる子にとって、あなたはたった一人の父親よ。私にとっても血の繋がった甥。……お願い、愛してあげて。そして、命をもたらしてくれたエレソナを……、慈しんであげて」
ギョームはかすかに震えながら頭を横に振る。
「無理だ。私は、そなたほど強くない……!」
「ギョーム」
キリエは夫の手を握り締めた。
「私が、強いと思っているの……? もしも強いのだとしたら、あなたがいるからよ。あなたがいるから……、私は……」
ギョームは黙って妻の手を握り返した。彼の脳裏に、悪夢にうなされていたキリエの姿が蘇る。彼女の心には、未だに癒されない深い傷がたくさんある。女王という立場から、いつも精一杯に胸を張り、凛とした表情を見せている。だが、その表情の下には、不安で一杯の修道女が隠されている。彼女は自分を支えてくれる。自分も、彼女を支えねばなるまい。たとえ、エレソナが自分の子を生んでも……。
「……キリエ……」
ギョームは顔を伏せ、震える声で囁いた。
「……すまない」
キリエは胸が詰まった。
「許してくれ。でも、信じてくれ……! 私は、私は、そなただけを……!」
それ以上言わさず、キリエは夫を抱きしめた。ギョームは悔しげに嗚咽を漏らすとキリエの胸にすがりついた。
オイールに帰還し、数日経ってからキリエはバレクランに向かった。どんな顔をして会えばいいのか、キリエは気が重かったが、エレソナを一人にしておくのも心配だった。どうしようもない嫉妬心を抱えながらも姉の体を気遣う自分に、複雑な思いで彼女はバレクラン城のアーチを潜った。
静かな廊下が永遠のように続く城内。キリエを導くローザはいつもと変わらず感情を悟らせない顔つきで廊下をゆく。やがて突き当たりの部屋へ辿り着き、室内へ声をかける。
「エレソナ様。……女王陛下が」
少し間を置いてから「入れ」と声が返ってくる。ローザが静かに扉を開くと、窓を背にしたエレソナがソファに座り込んでいる。逆光を浴び、その表情は窺い知れない。ソファの両隣には本が山積みになっている。ローザが退出し、扉が閉まる音を耳にして、キリエはようやく足を踏み出した。近くまで歩み寄ってようやく顔立ちがはっきりと目に映る。クロイツに向かう前に会った時と、特に変わった様子は見受けられない。相変わらずやぶ睨みの瞳で見上げてくる姉に、キリエは思わず立ち尽くした。
「……クロイツに行っていたそうだな」
キリエはこくりと頷いた。そして、恐る恐る口を開く。
「……おめでとう……」
消え入りそうな声で囁いた言葉に、エレソナは苦笑を漏らした。だがそれは、嘲りとは少し違うものだった。
「無理をするな。どうせ……、穏やかではいられまい」
キリエは大きく息を吐き出した。エレソナはふんと鼻を鳴らした。
「おまえもつくづく罪作りな女だな。夫に一年近く体に触れさせぬとは」
「……やめて……」
思わず目を閉じ、苦しげに呻く。
「おまえたちの祈りが通じたな。……一度で身篭った」
黙りこむ妹を見つめてから、エレソナはそっと腹に手を当てる。
「廷臣たちは、確実に妊娠させるために何度かここへ通うようギョームに迫ったらしいが、来たのは一度きりだ」
エレオノールもたった一度の交わりで王の子を身篭った。だが、ベル・フォン・ユヴェーレンは長い結婚生活を送りながら嫡子を一人しか生めなかった。何という皮肉だろう。しかし、ギョームがエレソナの許に訪れたのが一度きりだと知ると、キリエは思わず涙ぐんだ。自分に対する精一杯の気遣いだったのだろう。
「……今度、ギョームを連れてくるわ」
「会いたがらんだろう。私も会いたくない」
「でも……、生まれてくる子の父親よ」
「……会うにしても、ずっと先でいい」
キリエは躊躇いがちに頷いた。そして、自らの腹を見つめる姉に向かって、恐々と口を開く。
「……エレソナ」
顔を上げると、妹は見開いた瞳で真っ直ぐに見つめてきた。
「私……、今なら言えるわ。ギョームを、愛してるって」
エレソナはにっと笑った。蔑みでもなく、哀れみでもないその笑みに、キリエは吐息をついて続けた。
「でも、約束するわ。私はあなたと、あなたが生んでくれる子を守るわ。何があっても……」
妹の強張った声色にエレソナは目を細めた。
「……もっと肩の力を抜け」
「エレソナ……」
「おまえは誰かのために生き過ぎている」
キリエは思わず言葉をなくした。姉は探るような瞳で見つめてきた。
「おまえの望みは何だ。何だったのだ?」
姉の問いに、キリエは動揺して顔を逸らす。自分の、望み……。
「ギョームを愛しているのは、おまえが女王だからか?」
その言葉にはっとして顔を上げる。エレソナは相変わらず口許に笑みを浮かべている。
「……違うわ」
「だったら、迷うこともないだろう」
キリエは溜め込んだ息を吐き出した。
「……ありがとう」
「ふん」
「体を労わって、静かに過ごして。……お願い」
「言われなくても。二度も子を流してたまるか」
エレソナが口にした言葉に、キリエは息を呑んだ。そして、姉の顔を穴が開くほど凝視する。
「……い、今、何て……。何て言ったの……!」
妹の動揺にも動じず、エレソナは息を吐き出すと天井を仰ぎ見た。
「子を身篭るのは、これが二度目だ。一度目は流れた」
「だ……、誰の子……? 父親は……!」
キリエは青ざめた顔で必死に囁いた。エレソナは相変わらず冷たい目を妹に向けた。
「兄上だ。……レノックス兄様だ」
室内に恐ろしい沈黙が流れ、キリエはがたがたと震えながら姉を見つめた。
「……何てことを……!」
エレソナは蒼白になる妹の様子を眺めて鼻先で笑った。
「呪われた子だとでも言いたいのか? 私たちだって呪われた子じゃないか。おまえも私も、レノックス兄様もヒース兄様も、天に背いた交わりで生まれた。神に祝福されたはずのエドワードは馬から落ちて死んだ。……つくづく神とは度し難い輩だ」
まだ言葉を返せないでいるキリエに視線を向けてから、エレソナは息をつくと立ち上がり、窓から広がる風景を眺めた。
「兄上は生んでくれと言った。だから生みたかった」
「……エレソナ……」
エレソナはわずかに首を巡らすと呟いた。
「シェルトンに殴られたがな」
「……レノックスが?」
キリエの問いに姉は小さく頷いた。キリエの脳裏に、同盟会議で会ったマーブル伯シェルトンの姿が蘇る。彼女にとっては、シェルトンという男は何を考えているかわからない、どこか不気味な印象の男だった。
「……あんなシェルトンは……、初めて見た」
目を閉じた瞼の裏に、顔を歪め、唇を震わせて兄を殴りつけたシェルトンの形相が浮かぶ。レノックスは床に倒れこんだものの、逆上することなく、黙って俯いていた。そして、シェルトンもまた、何も語ることはなかった。だが、妊娠がわかったエレソナを、シェルトンは献身的に世話をした。それだけに、流産がわかった時の落ち込みようは目も当てられなかった。
「だが結局……、流れてしまった。その直後だ。兄上は最後の兵を挙げた」
その言葉に、キリエは全てを理解した。レノックスが討ち死にしたあの時、捕らえられたエレソナは体調を崩していた。レノックスは、妹を戦場に行かせないために病み上がりのあの時を選んで挙兵した……。キリエの胸に、ヒースの言葉が蘇る。
「レノックスが、また会おうと……」
エレソナはゆっくり振り返った。小さく体を震わせて見つめてくる妹に、彼女はやや鋭い声で言い放った。
「私は兄上を愛した。後悔などしていないぞ」
人々に忌み嫌われていた冷血公。だが、自分たちにとっては血を分けた兄妹。そして、彼とエレソナは短い間愛し合った。自分は、そのレノックスを討った。キリエの目から涙が溢れ出す。口を覆い、その場に座り込む。
「……私、レノックスを……、あなたが愛したレノックスを……!」
キリエがオイールに帰ってから間もなく、王が側室を迎え、その女性が妊娠したことが公表された。国民の間には衝撃が広がったが、曲がりなりにも後継者ができそうなことに余裕が生まれたのか、王妃に対する同情の声が上がった。
現金なもので、〈聖女王〉を妃に迎えながら側室を持つのはいかがなものかと、国民は宮廷に対して批判的になった。それと同時に、実は王は側室を迎えることを最後まで拒んだこと、側室を迎えるよう強く迫ったのは廷臣のペール伯とエイメ侯だということが国民に漏れ、オイール市内は二人に対する批判が巻き起こった。あまりの市民の怒りように、ついにオイール市長が宮廷に参内する事態にまで陥ったのである。
爽やかな春のそよ風がレースを揺らす室内で、キリエは穏やかな表情でギルフォードをあやしていた。隣ではマリーが微笑を浮かべて寄り添っている。バレクランから帰って以降、キリエは相変わらず塞ぎこんでいたが、ギルフォードと過ごす時は落ち着いた表情を見せていた。クロイツやバレクランで何があったのか、マリーはまだ聞いていなかったが、キリエが自分から話すまでは敢えて聞き出そうとはしなかった。
「マリーに似ているかしら」
ギルフォードの顔を覗きこみながらキリエが呟く。
「そうですか?」
「目許が似ているわ」
その時、マリーが不意に何か思い出したように笑い出す。
「どうしたの?」
「いえ、実は……。ジョンが、兄に似ていると」
「ジュビリーに?」
「それが、むずがって顔をしかめる時、眉間の皺の寄せ具合が似ていると」
マリーの言葉にキリエも吹き出す。
「そこは似てもらっては困るわね!」
「まったくです」
二人が笑い合っていると、女官がジョンとモーティマーが帰ってきたことを告げた。ジョンは、久々にキリエが明るい表情をしているのを見てほっとした顔つきになる。
「キリエ様、いらっしゃっていたのですね」
「ごめんなさい、すっかりギルフォードを独り占めにしてしまったわ」
「構いませんよ、キリエ様」
マリーの言葉に、キリエは思わず嬉しそうにギルフォードに頬ずりする。
「可愛いわ。とっても良い子。伯父上のように、眉間に皺なんか寄せては駄目よ」
「え?」
ジョンが狼狽し、モーティマーが思わずくすりと微笑む。しばらくギルフォードをあやしていたキリエだったが、ふと表情が翳る。
「……ペール伯とエイメ侯が謹慎を命じられたわね」
「……はい」
ジョンがわずかに顔を強張らせる。マリーが眉をひそめて身を乗り出す。
「謹慎?」
「……三ヶ月の蟄居でございます」
モーティマーが控えめに付け加える。キリエはギルフォードの頬を撫でながら呟いた。
「すごかったらしいわよ。オイール市長が本人たちの前で、市内で流れている二人への罵詈雑言を滔々と述べてみせたんですって」
マリーは「まぁ」と呟いて顔をしかめる。キリエは顔を上げると直立不動で立ち尽くしているジョンとモーティマーを見上げる。
「彼らがギョームに迫ったことを、誰が外部に漏らしたのかしら」
その言葉にマリーが驚いた様子でジョンとモーティマーの顔を見比べる。二人は思わず目を逸らした。目を伏せたモーティマーがぼそりと呟く。
「何のお話でございましょう……」
キリエが肩をすくめて唇を尖らす。
「とぼけ方までレスターから教わったの?」
「いえ……」
キリエはギルフォードをマリーに託すと立ち上がった。
「お願いだから、危ないことしないで」
女王の言葉に男たちは固い表情になる。ジョンはまっすぐキリエを見つめると低く呟いた。
「……当然の報いです。彼らはキリエ様を侮辱し、傷付けたのです。キリエ様には何の罪も落ち度もないと言うのに……!」
必死に言い募るジョンに、キリエは寂しげに微笑んだ。
「ありがとう。でも、私のせいで誰かが傷つくのはもう見たくないわ。……ジョン、サー・ロバート、自分をもっと大事にして」
「キリエ様……」
キリエは微笑むと再びソファに腰を下ろした。
「そろそろ、ギョームの生誕祝賀会の準備をしないとね」
「……はっ」
王妃はカーテンが揺れる窓を見やった。
「去年、私の誕生日をあんなに盛大に祝ってくれたんだもの。私もがんばらないとね」