クレドにヘルツォークが訪れて二ヶ月後。ようやく春の暖かさが実感できるようになった頃、ホワイトピーク港に一隻の船が現れた。船を降りた数人の人物は堂々と街道を行き、一路イングレスへ向かった。先頭を行く騎士が掲げる紋章旗には、白い正十字形。クロイツからの正式な使者に、アングルの国民は皆街道に殺到した。イングレスへ向かう道すがら、クロイツの使者たちは沿道からの痛切な叫びに胸を痛めた。
「お願いでございます! 異国の王を追い出して下さいませ!」
「我々は、ガリア人の君主など認めません!」
「大主教様にお願いを! アングルに御慈悲を!」
やがて、使節団はイングレスへ入った。そこでは、これまでとは打って変わって不気味な静寂が彼らを迎えた。市民は皆家を出て使節団を見守っていたが、多くの衛兵が出動し、使者に向かって声をかけないよう厳重な警備体制が敷かれていたのである。
不穏な空気に包まれた王都を行き、使節団はプレセア宮殿へと入城した。使者はムンディが遣わしたワイザー大司教。レノックスが聖アルビオン大聖堂のカトラー大司教を殺害したこともあり、ワイザー大司教の周囲にはヴァイス・クロイツ騎士団の騎士たちが守りを固めている。
玉座の間へと通されたワイザー大司教は目を見開き、そして顔をしかめた。アングル王の玉座には〈ガリア王〉リシャールが腰を下ろし、その隣には〈アングル王太后〉ベル・フォン・ユヴェーレンが寄り添っている。
イングレス占領から半年が過ぎ、やせ衰えていたリシャールの体もすっかり健康を取り戻している。ベルも、約一年前に夫に死なれた未亡人だとは思えぬ若々しい美しさを今も保っている。二人はまだ正式に結婚したとは公表していないものの、傍から見る限り、その態度は夫婦然としたものだった。
「……クロイツのムンディ大主教の命で参りました。ワイザー大司教です」
「……ご苦労」
リシャールは不遜な態度でそっけなく言い捨てる。
「わざわざ大陸からこの島国へ何の御用かな」
白々しい言葉にワイザーは内心呆れ返ったが、それを顔には出さない。
「単刀直入に申し上げます」
ワイザーはあくまで形式的な口調を崩さず、淡々と語った。
「ガリア王であるリシャール王陛下の此度のアングル侵略。大主教は大変憤慨していらっしゃいます。王位継承のため混乱を極めるアングルの隙をつく侵攻で、多くのアングル国民が犠牲となりました」
「その王位継承のためにすでに多くの血が流れている。それは構わぬと仰せか」
「それは論理の摩り替えというもの。とにかく大主教は、侵略を認めて改悛し、ガリアへ帰国するよう仰せです」
リシャールはにやりと笑ってみせた。
「断る。何の権限があってそのような戯言を」
「……大主教のお言葉を戯言と仰せですか」
ワイザーが目を細めてリシャールを睨み付ける。
「ふん。クロイツが我々に何をしてくれた?ただ平和を求めて祈り、争いを憂いて祈り、死後の平安を望んで祈る。ただそれだけのことに心血を注ぐ連中に何を言われても構わん。早々に帰られよ」
玉座の間に集まった廷臣たちは黙って顔を見合わせた。宮廷の廷臣の半分は、エドガーの下で仕えていた者たちだ。敬虔なヴァイス・クロイツ教徒も多い。
「……それは本心からのお言葉でございますか」
鋭い視線を送りながらワイザーが怒りを押し殺しつつ問いかける。
「くどいぞ。早々に立ち去れ!」
「わかりました」
跪いていたワイザーが勢いよく立ち上がる。
「大主教のご意思をお伝えいたします。リシャール・ド・ガリア! あなたをたった今破門とする!」
リシャールよりも、周りの廷臣たちから驚きとどよめきの声が上がり、玉座の間は騒然となる。
「それから、あなたもだ。ベル・フォン・ユヴェーレン」
ワイザーはリシャールに寄り添うベルに目を向ける。本人は黙ったまま、口元に冷たい笑みを浮かべている。
「夫と死に別れ、国の安定に努めるべきを異国の王と通じ、国を売るなど不埒千万。あなたにも破門を宣告する」
相手の言葉に動じることなく、ベルはゆっくりと前へ進み出る。
「信仰の精神を忘れ、欲と権力に塗れた聖職者の破門宣告など、痛くも痒くもないわ」
ワイザーがわずかに歯噛みするとベルを凝視する。
「お二人の返答はしかと大主教へご報告いたします。……後悔なさらぬよう」
それだけ言い残すとワイザーは踵を返した。騎士たちを伴うと靴音高くワイザーは玉座の間を後にする。
「……ふん。クロイツの生臭坊主が」
玉座で頬杖を突いたまま、リシャールは笑みを浮かべながら呟いた。ベルはそっと玉座の隣に跪くとリシャールの肩に両腕を回し、耳元で囁く。
「落ち着いたらエスタドへ使者を送りましょう。アングルとユヴェーレン、そしてエスタドが組めばクロイツを包囲することができます。世界は古い慣習に縛られたクロイツから解放されますわ」
「そうだな」
エスタドのガルシアは、息子ギョームとの一件で自分を憎んでいる。だが、クロイツに対抗できると知れば考えを改めるだろう。リシャールは満足げにベルの手を撫でながら頷いた。
リシャールとベルがクロイツから正式に破門されたという噂は、やがてクレドにも伝えられた。異国からの侵略者に耐えかねたイングレスの市民たちはたびたび小さな騒ぎを起したが、そのたびに力でねじ伏せられていた。もう国民も限界に近い。ガリアのギョーム王太子が協力を求めてくるのであれば、早い段階でイングレスを奪還せねばならない。ジュビリーが焦りを感じ始めたのは、六月も終わりの頃だった。
いつものように書斎に引き篭っていたジュビリーの元へ、どこか嬉しそうな表情をしたマリーエレンがやってきた。
「兄上、今よろしい?」
「どうした」
そっけない返事を返す兄に、マリーが小さな花束を差し出す。赤い薔薇が三輪、青いリボンで結ばれている。
「……何だ?」
「薔薇ですよ」
「見ればわかる」
どこまでも無骨な兄の態度に、マリーは溜め息をつく。
「おわかりになりませんの? キリエ様からですよ」
言われてジュビリーはますます顔をしかめて見せる。
「どういうことだ?」
「もう、本当にこういったことには鈍感なんですから」
少し怒った口調でマリーが口を尖らす。
「今日は何の日か、覚えておいでです?」
ジュビリーは妹の問いに戸惑いつつ、それを押し隠しながら記憶を辿る。昨日はエドガーの命日だった。彼の死を悼む気など毛頭ないジュビリーだったが、キリエはこっそりと礼拝堂で祈りを捧げていたらしい。諸悪の根源と言えど、キリエにとってはたった一人の父。そのことを責めるつもりもなく、気が済むだけ礼拝堂に閉じ篭らせていた。
「昨日はエドガーの命日だった。今日は……」
「今日は、兄上とキリエ様が初めてお会いした日ですよ」
マリーの言葉に、ジュビリーは黙り込んだ。そうだ。エドガー崩御の報せを受けて、翌朝にはロンディニウム教会へ向かった。もう、あれから一年経ったというのか。彼は黙ったまま妹から花束を受け取った。薔薇はバートランド家の紋章だ。
「クレドにいらっしゃってから、ずっと薔薇のお世話をしてくださいましたからね」
しみじみと呟くマリーだったが、無言で薔薇を見つめるばかりの兄を振り返る。
「中庭においでですから、お礼を申し上げてきてくださいな。キリエ様ったら、ご自分でお渡しすれば良いのに、恥ずかしくて渡せない、なんて仰るから」
「……ああ」
薔薇を手に立ち上がったものの、何と声をかけるべきなのかわからないジュビリーは、迷惑そうに薔薇に目を落とすとマリーに尋ねる。
「……何と言えばいい?」
「……は?」
マリーは呆れたように聞き返す。
「だから……、キリエにだ」
「ご冗談を……! 素直にお礼を申し上げれば良いのですよ!」
ジュビリーは顔をしかめたまま、マリーに追い立てられるようにして書斎を後にする。
中庭へ向かうまで、廊下ですれ違う召使や小間使いたちは、城主が似合わぬ薔薇を手にしているのを見て皆目を丸くした。そのことに居心地の悪さを感じながら中庭へ辿り着くと、キリエは庭師と談笑しながら水を撒いている。
「……キリエ」
ジュビリーの声に、キリエははっとして振り返る。そして、思わず顔を赤らめるキリエを見てとると、庭師は黙ってその場を辞した。
ジュビリーは薔薇をキリエに見せると、ぎこちない動きで彼女の側へ歩み寄った。そして、気まずい雰囲気の中、二人はしばらく黙って庭に咲き乱れる野草の花を眺めていた。
「……もう、一年なのだな」
ジュビリーがぼそりと呟く。キリエがゆっくりと振り返る。
「……たった一年の間に様々なことがあった。何も知らないおまえを教会から連れ出し、何度も命を危険に晒してきた」
「でも、そのたびに助けてくれたわ」
キリエが初めて口を開く。ジュビリーはキリエを見下ろした。幼い修道女はこの一年で大きな成長を遂げた。女王になるための準備は、着実に進められている。
あの時、女王になることを拒み、教会へ帰ると泣き叫んだ光景がジュビリーの脳裏に浮かぶ。そして、妻エレオノールをエドガーに奪われたこと、キリエの異母兄である王太子エドワードを暗殺したことを告白した。キリエはジュビリーの絶望と罪を一緒に背負うと言った。あの日から、二人はいつも側に寄り添って生きてきた。恐らく、これからも。だが本当は、この先何が待っているのかわからない。
「……色々あったけど」
キリエは顔を伏せると、小さく囁く。
「これからも、お願い、……側にいて」
ジュビリーは返事をしなかった。その代わり、左手でキリエの右手をそっと握る。温かい大きな手に包まれ、キリエは安心したように微笑を浮かべると、静かに握り返す。キリエがわずかにジュビリーに寄りかかろうとした、その時。
「伯爵!」
背後から声をかけられ、二人は飛び上がった。
「きゃッ!」
振り返ると、そこには緊張した顔つきのレスターが立ち尽くしている。
「あの……、無粋な真似をして誠に申し訳ないのですが……」
「何だ、何があった」
ジュビリーが焦りを隠しつつ言い放つ。レスターが二人の側へ小走りに駆け寄ると、声をひそめて囁いた。
「ギョーム王太子が、こちらへ向かっているそうです」
アングル南東の沿岸。リシャールの占領下にあるホワイトピークを避け、イングレスを更に西へ回った小さな港グリーンズにギョームは上陸した。
父の目を盗んでの上陸は文字通り「潜入」であり、供の者もごく少数だった。同行したバラはギョームの上陸に最後まで反対したが、結局は押し切られた。
「父上の討伐は絶対に失敗が許されない。これから先のアングルとの関係を考えてもな。それに、接触するならば、即位する前に庶子たちと会っておきたい」
というのがギョームの言い分だった。庶子とは言え、エドガーの子どもたちは自分の従兄弟でもある。まずはグローリア女伯。そして、会談の内容次第では、〈冷血公〉と〈タイバーンの雌狼〉とも会うつもりだった。
ギョームたちは急がず、辺りに充分に気を配りながら目的地へ向かった。身分を隠すため、当然のことながらガリア王家を示す〈白百合〉の紋章は全て取り去るか、隠してある。衣装も普段より簡素なものだ。夏のアングルは瑞々しい緑に溢れ、美しい青空が広がっていた。ギョームは亡き母が語った言葉を思い出した。
「長い冬はとても厳しくて、本当に春が待ち遠しいの。毎日毎日、黒い雲が空を覆っていて、街は霧の海に沈む。それが、春になると絵筆で塗り変えたように鮮やかになるのよ。一度あなたと一緒にアングルへ帰りたいわ」
ギョームは、母を心から愛していた。優しく、慈愛に溢れ、惜しみない愛情を自分に注いでくれた。そして、宮殿を留守にしがちな夫の帰りをひたすら待ち続けていた。夫とその愛人の噂話を耳にするたびに涙ぐみ、それでも愚痴をこぼすことのなかった母の姿を見て育ったギョームは、父を憎むようになった。そして、自分はあんな男にはならないと心に決めた。その母とは、数年前に死に別れた。母が生きている内は父との確執も我慢できたが、
「……山があまりないな」
馬に揺られながらギョームが呟き、バラも辺りを見渡す。
「アングルは島国ですが山が少なく、広い平野があります。だから小さくとも農地を確保できます。島国と言えど、決して貧しい国ではありませぬ」
「そなた、来たことがあるのか」
「マーガレット王妃の輿入れの際に、何度か」
ギョームは王太子として周辺諸国を何度か訪れていたが、アングルを訪れるのはこれが初めてだった。母は、ここで生まれ育ったのか。
馬に揺られること二時間余り。ちらほらと低い山々が見え始めた。のどかな田園風景が続き、思わず目的を忘れかけた頃、黒い城が目の前に現れた。
「クレド伯爵の居城です」
ギョームは目を眇めて城を見つめる。
「キリエ・アッサーはここに?」
「はい」
「クレド伯はレディ・キリエとどういう関係だ?」
「遠縁に当たるそうで、今は女伯の後見人です。領地が隣り合っていたこともあり、レディ・キリエの祖父、ベネディクト・アッサーとも親交があったそうです」
「どんな男だ」
バラは思い出すためにしばらく口をつぐんだ。
「私が聞いた話では、アングル有数の名門伯爵家であり、まず有名なのが、抱えている
「アングルのロングボウか」
「一説には、リシャール王陛下はエドガー王にクレド伯を援軍に寄越してほしいと懇願したそうですが、技術流出を恐れたエドガー王が断ったとか」
「で、来たのが狂戦士ルール公か」
ギョームは皮肉そうに鼻で笑うが、もしジュビリーのロングボウ隊が内戦に参加していたら、と密かに背筋が寒くなるのを感じていた。アングル以上に広い平野があるガリアでは、ロングボウの威力を十二分に発揮できたことだろう。
「政治家としてはどうだ」
「やはり存在感のある人物のようですが、九年前に奥方が亡くなってからは宮廷には姿を現さなくなったそうです」
軍人としての力量もあり、政治家としても才能があるとすれば、あまり敵には回したくない相手だ。レディ・キリエよりもクレド伯を相手にすることを念頭に置いた方がよさそうだ。ギョームはしばらく黙り込んで対策を練り始めた。
その頃、クレド城ではギョームを迎える準備が進められ、異常な緊張感が張りつめていた。
キリエは衣装部屋の奥の窓から外を見下ろしていた。ここは正面の城門の真上に当たる。
「女伯、首飾りを」
「いらないわ」
キリエの気のない返事に、侍女は困ったように肩をすくめる。
「未来のガリア王をお迎えするのですから、それなりの盛装でなければ……」
「身を飾るのは苦手だもの」
キリエが憂鬱そうに言い返し、侍女は手にした首飾りに目を落とす。着けられるものならば自分が身に着けたい。そんな表情だ。
「伯爵は衣装についてはあまりうるさいお方ではないですけれど、こういった会見の場では身なりにもお気を配られた方が……」
侍女の言葉が終わらない内に、扉が叩かれる。
「準備は」
ジュビリーの声だ。侍女が扉を開くとキリエは少し気まずそうな顔つきでジュビリーを迎え入れた。
「殿……、僭越ながら、私はもう少し女伯に着飾っていただきたいのでございますが……」
侍女の言葉に、ジュビリーはキリエの服装にちらりと視線を走らせる。元より女の身なりに興味がない彼にとって、侍女の指摘が適当なものかどうかもわからない。むしろ、いつもより鮮やかな美しいドレスを身に纏ったキリエが居心地悪そうな表情をしているのが気にかかる。
「……これで良いだろう」
「殿、しかし……」
「大丈夫だ。下がって良いぞ」
侍女は少し不安そうな顔立ちのまま一礼すると衣裳部屋を辞した。
「……ごめんなさい」
キリエは恥ずかしそうにぽつりと呟いた。
「どうしても、贅沢な服装に慣れなくて……」
「……別に、それで良いだろう。あちらもどうせ着飾ってはいないはずだ。目立つ格好でアングルに上陸するはずがない」
そうだ。ギョームにとっては、父親が支配下に置いている地への潜入になるのだから。だが、〈若獅子〉と称される美しい王太子だ。一体どのような姿格好なのだろう。
と、そんなことを考えながら窓から見える風景に目を向けていると、数人の騎乗の男たちが城門をくぐるのが見える。甲冑ではなく、軽い旅装姿。城門の衛兵たちが驚き慌てて中庭へ向かっているのが見える。
(……誰?)
男たちは騎乗のまま、ゆっくり城門から中庭へ馬を進めた。先頭は、遠目でよくわからないがまだ若い青年――少年かもしれない――、柔らかな金髪だ。他の男たちは、少年を守るように辺りに目を配っている。
キリエが彼らの一挙手一投足を見守る内に、塔の下までやってくる。話し声が聞こえるが何を話しているかまではわからない。キリエがさらに体を乗り出した時。少年がこちらを見上げた。
どこか中性的な顔つきをした少年は、不意を突かれたように目を見開いた。口をわずかに開き、まっすぐに見上げてくる。キリエも、思わず黙ったまま見つめ返す。
「……殿下?」
バラは、動きを止めた王太子を振り返ると息を呑んだ。ギョームは、バラが今まで見たことがないような表情で塔を見上げていた。何かに魅入られたかのような、あまりにも無防備な表情。幼い子どものような無垢な瞳。普段は、特に内戦が始まってからは誰にも見せたことがない素顔と言っていい。バラは俄かに不安になるとギョームの視線を追った。
門の上部に窓がひとつあり、そこから少女が一人見下ろしている。わずかに波打つ濃い栗毛が肩に流れ、ほんの少し眉をひそめている。喉までぴったりしたブラウスに、目の覚めるような青いドレス。ギョームには、そこだけ目映い光が当てられたかのように思われた。
「……キリエ?」
黙り込んで外を覗き込むキリエにジュビリーが声をかけるが、本人は気づかず振り向きもしない。相手の正体に先に気づいたのはキリエだった。
(あの美しい金髪は、よもやギョーム王太子ご本人……?)
キリエはそっと両手を合わせると頭を下げた。
「!」
その仕草に、ギョームは雷に打たれたように全てを察した。彼女だ。〈ロンディニウム教会の修道女〉! ギョームは慌てて馬から下りると片膝を突いて頭を下げた。
「殿下!」
バラたちも慌てて下馬するが、よく考えれば、ガリアの王太子が女伯爵に対して跪く必要はないのだ。だが、キリエが醸し出す神聖な雰囲気は、それが当然のように思わせた。
キリエ十四歳、ギョーム十九歳の出会いであった。
アプローチに通されたギョームは、黒衣の男の出迎えを受けた。髪も瞳も衣服も黒尽くめの男は、鋭い目でまっすぐ見据えてくる。しばし見つめると、恭しく跪く。
「拝謁を賜り、恐悦至極に存じます。クレド伯爵ジュビリー・バートランドと申します」
ギョームは小さく頷くと相手を見下ろした。この男がクレド伯……。老練な策士を想像していたギョームは、思ったよりもずっと若いジュビリーに意表を突かれた。
「ジョン・トゥリー子爵と、フランシス・レスター男爵です」
ジュビリーは後ろに控えているジョンとレスターを指し示して紹介し、それぞれが緊張した面持ちで跪く。彼らに視線を落としてから、ギョームは訛りのないアングル語で低く呟いた。
「ギョーム・ド・ガリア。……ガリア王太子である」
ジュビリーらが立ち上がると背後から衣擦れと靴音が響いてくる。一同が振り向くと、マリーエレンと侍女を伴ったキリエがこちらへやってくる。キリエは緊張に顔を強張らせているのがありありとわかる。ギョームは表情をゆるめると穏やかに微笑んだ。
「……やはり、あなたがグローリア女伯」
ギョームが語りかけた言葉に、ジュビリーがわずかに眉をひそめる。キリエは改めて両手を合わせて跪き、緊張でかすれながらもガリア語で詫びた。
「……
「驚いた。ガリア語をお話しできるのですか」
「……あまり、得意では、ありませんが」
「綺麗なガリア語ですよ」
言いながらギョームは立ち上がるよう手を差し伸べる。キリエはぎこちない笑顔で正面からギョームと向き合った。
「……私がキリエ・アッサーです」
「ギョームです。……ここはアングルです。こちらの言葉で話しましょう」
くだけた口調で名乗ると、彼は目を細めて目の前の少女を見つめた。
「……窓を見上げて、この城には天使が住もうておるのかと」
「!」
王太子の思わぬ言葉に、一同は絶句した。マリーが眉をひそめ、思わず兄を見上げるが、本人は相変わらず冷たい視線で二人を見守っている。キリエは耳まで真っ赤になると石のように固まるが、ギョームはさらに畳みかけた。
「しかし、天使ではなくアングルの女王でしたか」
「え……」
その場にざわめきが起こり、バラが慌てて声をかける。
「殿下……!」
「バラ、未来の女王に努々粗相のないようにな」
「殿下!」
キリエが狼狽えた様子で声を上げるが、ギョームは右手を挙げて制する。
「アングルの君主は彼女が相応しい。だが、その前にやるべきことがあるな。……良いかな、クレド伯」
あまり表情を変えないまま、ジュビリーは頷くと応接間へと案内した。