満天通信

【01 軌道エレベータ】

 

「そんなぁ」
 手のひらの
携帯端末シェルをのぞき込んだルコは、思わず落胆の声をもらした。今日はひと月に一度の開放日。この日しか訪れることができない開放エリアに友人と訪れるはずだったのだ。なのに、届いたメッセージは「お腹が痛くて行けない」。
「もう」
 ポーチにシェルをしまうと溜息をつく。あたりはざわざわとしている。皆、早く開放エリアに行きたくてしかたがないのだ。子どもからお年寄りまで、たくさんの人たちが笑顔でエレベータのゲートが開くのを待っている。ルコはもう一度シェルを取り出すと電話帳を呼び出す。
「……もしもし、母さん?」

「ルコ?」
 シェルの向こうから聞きなれた声が応える。
「ユッカが来れなくなっちゃった。帰るね」
「どうして」
 不思議そうな声。ルコは目を瞬かせた。
「だって」
「せっかくゲートまで行ったんでしょう。チケットももったいないから行ってきなさいよ」
 思いがけない言葉にルコは不安そうに周りを見渡す。いろんな人々がいるが、ほとんどが家族連れや恋人同士といった顔ぶれだ。
「開放エリアには大きなプラネタリウムがあるの。いいわよ、おすすめ」
 プラネタリウム。行ったことがないわけではない。それでも母親がすすめてくるということは、よほど素敵な場所なのだろう。
「いつも家に閉じこもってばかりなんだから。行ってきなさいよ。冒険に」
 かちんとはきたが、最後の言葉が胸に染みる。そうだ。たまには非日常を体験するのもいい。
「わかった。じゃあ、行ってみる」
「わからないことがあったらまた電話しなさい」
「うん」
 通信を切ったと同時に、人々の口から声が漏れる。目の前のゲートがゆっくりと開いていく。真っ白で無機質な壁が開き、光に満ちた空間が広がる。整然と並ぶ座席へ、皆が嬉しそうな表情で進む。ルコも、意を決して足を踏み出す。
「軌道エレベータへようこそ。開放エリアへは約30分。快適なひと時をお過ごしください」
 柔らかな女性のアナウンスが響く。と、ルコたちを取り囲む白い壁が一瞬にして緑したたる森の映像に変わる。座席を確保したルコは緊張しながらも美しい映像に目を奪われた。が、ふと映像の下の空間に目をやる。30センチほどの細い窓がずっと続いている。そこから見えるのは暗黒の空間。だけど、時折小さな瞬きが見える。
(エレベータから
宇宙そとが見えるんだ)
 ルコはそうつぶやいた。

 ルコが暮らしているのは、宇宙空間を漂流する移民船団GET2。故郷である地球を旅立って百年。居住に適した惑星を探し続けている。船団は駆動部を除くと巨大な船2隻からなっており、それぞれ暮らしている人々は自由に行き来はできない。だけど、ふたつの船に分かれた人々が交流できるのが、ルコが今向かっている開放エリアだ。定期的に開放はされているけれど、開放されるのは24時間。その間に、2隻の人々はエリア内でふれあうことができる。

 エレベータ内の映像は森だけでなく、海や砂漠といった壮大で雄大な景色を映し出していった。が、そのどれも移民船にはない。皆、地球でつくられた古い映像作品でしか知らないのだ。いつか、こんな風景が広がる星で暮らせるのだろうか。ルコはぼんやりと思いながら映像を目で追った。
「皆さま、お待たせいたしました。開放エリアに到着いたしました」
 女性アナウンスの言葉に歓声が上がる。人々が次々に席を立ち、出口へと向かう。ルコもポーチを肩にかけると降りる準備をする。静かな作動音が続き、白いゲートがゆっくりと開き――、不意にどーんという衝撃と共にゲートが停止する。
「わっ!」
「きゃあっ!」
 悲鳴と怒号が飛び交い、人々はその場にうずくまった。と、照明が落ちて真っ暗になる。子どもたちの泣き声やパニックに陥った人々の悲鳴が上がる。
「なに、どうしたの」
 膝をついて顔を上げたルコも恐怖でいっぱいの表情だ。
「申し訳ございません。合流ゲートが何らかの理由で正常に開閉されません。今しばらくお待ちください」
 機械的なアナウンスに不満の声が上がる。子どもたちは泣きやみそうにない。悲鳴や怒号、泣き声を聞いているとひとりぼっちのルコは胸が不安ではち切れそうになった。
「早く……、早く開いて……!」
 うつむいたまま必死で祈る。暗闇の中、ざわめきだけが響く空間。人々の不満が頂点に達しようとした時。
「わぁっ」
 エレベータに再び明かりが満ちる。
「大変お待たせいたしました。これより合流ゲートが開きます。そのままお待ちくださいませ」
 安堵の溜息と同時に拍手が起こる。ルコは両手を床についたまま大きく息を吐き出した。
 ゲートが再びゆっくり開いていく。永遠のようにも思えた暗闇でのひと時も、時間にしてほんの数分だったらしい。それでも、ルコは思いもよらないアクシデントに胸がどきどきと脈打ち、呼吸が乱れて歩けなくなってしまった。
 開ききったゲートから、大勢の人々が我先に外へ飛び出してゆく。その先はどうなっているかわからないが、光に溢れ、音楽も聞こえている。それでもルコは胸を抑えたままうずくまっていた。どうしよう。頭の中がパニックになりかけた時。
「どうしたの」
 頭上から降りそそぐ声。ルコは呆然と顔を上げた。その顔はきっと蒼ざめていたに違いない。
「大丈夫? 気分悪いのか」
 眩い照明を背負ったその人物の顔は真っ暗でよくわからなかった。だが、若い男性だろうということはわかった。
「ちょっと、気分が……」
 やっとの思いで絞り出す。と、相手は大きな手を差し出し、ルコの右手をぐいとつかんだ。
「ひとまずここから出よう。外で休んだらいいよ」
 頼りなげに立ち上がると腰を支えられる。そして、青年は手を握りしめるとゲートの外へ向かって歩み出した。そのしっかりとした足取りに安堵の気持ちが広がる。
 ごくりと唾をのみこんでから青年を見上げる。少し彫りの深い顔立ち。どこか野性味を感じさせる雰囲気に力強さを感じる。と同時に、今までふれたことのない違和感も覚えた。
「こっち。作業員の控室があるんだ」
 その言葉に我に返る。導かれるままに連れて行かれた部屋には、十数人の男性が席について休憩を取っていた。そこで気がついたが、青年は油汚れの目立つ作業着姿だ。
「ちょっと待ってて」
 椅子に座らされ、青年がいなくなってしまうと途端に心細くなって辺りを見渡す。気づけば部屋にいるのはいかつい男たちばかり。時折、ルコを不思議そうに眺めてくる。
「お待たせ。ほら、お水」
 ペットボトルを持った若者が戻ってくると思わずほっと笑みがこぼれる。
「すみません」
「ひょっとして閉所恐怖症? 閉じ込められて気分が悪くなったのかな」
 ペットボトルの水を一口含むと顔を振る。
「そういうわけでは……。ただ、開放エリアは初めてで、緊張してて……」
「ああ、なるほどね」
 若者は納得したように頷くと、自らも手にしたペットボトルを煽る。
「よぉ、ラタオ。ナンパか?」
「違うよ」
 同じく作業員らしき男の言葉に若者が苦い表情で返す。
「レスキューだよ」
「へへ、作業始まるぞ」
「わかってるよ」
 ラタオと呼ばれた若者はもう一度喉を潤してから息をついた。
「どう、気分は。救護施設に案内しようか」
「いいえ、もう大丈夫です」
 ルコの言葉にほっとした様子でラタオは笑顔を見せた。
「良かった。じゃあ俺、仕事があるから。外まで送るよ」
「はい。ありがとうございます」
 慌てて席を立つルコの腰に大きな手が添えられ、今さらながらどきりとする。
「大丈夫、慌てないで」
 赤い顔でこくりと頷くと、ラタオは満足そうな表情でルコを連れ出した。
 控室を出ると、白い通路の先に巨大なアーケードが見えてくる。アーケードの下には枝ぶりのよい街路樹が立ち並び、カフェや子どもたちが遊べる遊具広場もある。大道芸人たちが手品を披露し喝采を浴びていたり、手回しオルガンの演奏なども見受けられる。ここが、開放エリア。
「帰る時はまたここへ戻ってきたらいいよ。軌道エレベータは2時間に1回出てるからね」
「はい、本当にありがとうございました」
 改めて深々と頭を下げるルコにラタオはにっと笑った。
「初めての開放エリアでしょ? 楽しんで!」
「はい」
 ラタオ青年は笑顔で手を振ると元来た通路に帰っていった。ルコは、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりながらその後ろ姿を見送った。

 とはいえ。
 ひとり取り残されたルコは途方に暮れて立ちすくんだ。頭上を覆う街路樹の隙間からは
疑似天蓋スクリーンが水色から藍色へ美しいグラデーションを奏でる様がのぞき、移動遊園地に集まる子どもたちの歓声が響く。自分が暮らしている居住船とはあまり変わらない風景がそこにある。ただ、様々な姿の人々が集まっているのが唯一感じた違いだ。
 どうしよう。友人と一緒に回るつもりだったから何の予定も立てていない。と、母親からすすめられたプラネタリウムを思い出す。だが、手許には地図もない。しばらく付近の公園を歩き回ったあげく、とりあえずオープンカフェに向かう。
「ブルーマロウはいかがですか? とっても爽やかな青いハーブティーですよ」
 店員に言われるまま、宝石のように透きとおった青いハーブティーを受け取る。真っ白なティーカップがその青さを際立たせている。一口含み、息をつく。どうしよう。人に聞きながらプラネタリウムを目指そうか。歩いていったらどれぐらいかかるんだろうか。交通手段は何かあるんだろうか。そんなことを考えていると。
「あれぇ」
 頭上からの声。はっと顔を上げると、そこにはつい先ほどまで一緒にいた青年。
「まだ具合が悪いの?」
「いえ……」
 ラタオは不思議そうに肩をすくめた。
「せっかく開放エリアに来たんだから、どこか遊びに行けばいいのに」
 もっともな言葉に居心地悪そうに体を固くする。
「……場所が……、よくわからなくて」
 消え入りそうな声にラタオは身を乗り出した。
「どこか行きたいところがあったの?」
「……プラネタリウムに」
 ラタオは、ああと声を上げた。
「プラネタリウムならわかるよ。連れていってあげるよ」
 思いがけない申し出にルコはぴょんと体をはずませる。
「えっ、でも」
「ちょうど仕事が終わったし。いいよ、行こう」
 そう言ってラタオはルコの手を引くとさっさと歩きだした。ルコは顔を真っ赤にして小走りについてゆく。ラタオは少し行くとモノレール乗り場を指差した。
「モノレールで行けるよ」
「は、はい」
 タラップを上がると、ほどなくして銀色のモノレールがすべるようにしてホームへ入ってくる。車両へ入ると、ルコは物珍しそうに窓から眼下を眺めた。白と赤のテントが印象的なサーカスのテント。楽隊の演奏に集まる人だかり。本物の馬が引く馬車まである。
「ひょっとして、方向音痴?」
 不意にかけられた言葉にぎくりと振り返る。相手の表情から悪気は感じられない。
「いや、本当は友達と来るはずで……」
「ああ、そうだったんだ。残念だね」
 こくりと頷くルコに、ラタオ青年は穏やかに微笑んだ。
「俺はラタオ。君は?」
「ルコです」
「ルコちゃんか。可愛い名前だね」
 自分の言葉にいちいち顔を赤くさせるルコに、ラタオは思わず苦笑を漏らす。そして、目の前の少女を改めて見つめてくる。柔らかなピンクブラウンの髪は丸みのあるボブカット。薄いブラウンの瞳をみはり、どこか宙に漂うような雰囲気を持ったルコに、ラタオは興味を持ったらしい。
「ルコちゃんは中学生?」
「はい。ラタオさんは……、お仕事終わったばかりなのに、すみません」
「ああ、大丈夫だよ」
 そう言いながらポケットから銀色のスティックを取り出すと口許へ運ぶ。その自然な仕草にルコはどきっとした。スティックが離れた唇からぼんやりとかすかな煙のようなものが漂う。ルコは思わず身を乗り出した。
「それ……、煙草ですか?」
「ああ、そうだよ」
「初めて見た……」
 ルコの言葉にラタオは思わず声を漏らす。
「ああ、Aクラスじゃ煙草は廃れたって聞いたけど、本当なんだな」
「えっ」
 不意に上がる驚きの声にラタオは目を瞬かせた。
「あ、ルコちゃん、Bクラスの人間に会うの初めて?」
 再び頷くルコ。そうか。今まで会ったことのないタイプだと感じたのはそういうわけだったのか。ルコの中でひとつの疑問が溶けていく。
 移民船GET2を形成するふたつの居住船。ひとつはルコの住むAクラス。そしてもうひとつはラタオの住むBクラス。それぞれの住民たちは、こうした開放エリアでしか出会うことがない。
「そっか、開放エリアに来るのも初めてなんだもんな。俺はさ、ここが職場みたいなもんなんだ。すべての軌道エレベータの保守点検が仕事でね。住んでるのはBクラスだけど、Aクラスの人ともよく会う機会があるんだ」
 初めての開放エリアで出会った、住む世界の違う人。ルコは珍獣でも見るような眼差しでラタオを見上げた。
「Bクラスでは煙草はまだまだ人気だよ。昔は煙草の葉っぱを燃やしてたから煙とか匂いとかひどかったんだけど、今は水蒸気だからいつでもどこでも吸えるんだ」
「へぇ」
 興味津々に見上げてくるルコに、ラタオはスティックを見せてきた。スティックの中心に窓があり、そこから青い液体が揺れているのが見える。ほのかに独特な匂いが漂うが気になるほどではない。
「おっ、着いたよ」
 その言葉に顔を上げる。音もなく開いた扉からホームへ降り立つ。そこは、通路の壁が藍色に統一され、天井にはほの明るい星の形をした照明が敷き詰められている。ところどころ、星を散りばめたドレスをまとった美女の画像が表示されている。
「時々プログラムが変わるんだけど、大体惑星や星座の物語を基にした内容だよ」
「ふぅん……」
 辺りをきょろきょろしながらついてゆくルコを尻目に、ラタオはチケットカウンターへ向かう。そして、ふたり分のチケットを手にして戻ってきたのを見てルコが慌てる。
「あっ、お金払います! いくらですか」
「いいよ、大丈夫」
「で、でも」
 困り顔で口ごもるルコに、ラタオは笑顔でチケットをひらひらと振った。
「こんなおじさんとデートに付き合ってくれるんだ。大丈夫さ」
 おじさん。デート。思わぬ言葉にルコの頭がパンクする。そしてさっさとプラネタリウムへ入ってゆくラタオを小走りに追いかける。
「ラタオさん、おじさんじゃないです……」
「えー? 俺もう20だからさ。ルコちゃんからしたらおじさんだよ」
「そんな」
 たしかに、15歳のルコにすれば五つも上のラタオはずいぶん大人な感じがする。だが。
「それより、ほら、ちょうど始まりそうだ」
 そう言ってルコの手を取ると駈け出すラタオ。ルコはますます顔を赤くした。
 プラネタリウムのドームはぼんやりとした白い壁で覆われていた。投影の開始を知らせるベルが鳴り、ふたりは手近の席に腰を下ろした。辺りを見渡すと、ほどよく席は埋まっている。始まりに期待の囁きがさわさわと響く中、ルコは少し緊張しながらドームを見上げた。そして、隣のラタオに眼差しを向ける。ほのぐらいドームの中で、浮かび上がるような澄んだ目が印象的だ。
 やがて、ほの暗いドーム内に蒼い帳が降りる。そして、涼し気なベルの音が流れだすと、ドームの中央に白い光の柱がぼうと立ち上り、感嘆の声が漏れる。
「みなさん、ようこそいらっしゃいました。これから、私たちが今旅をしている銀河の伝説をご紹介いたします」
 温かみのある、優しい女性の声と共にドーム一面に散りばめられた星々が輝き、わぁっと歓声が上がる。
「現在、私たちが住むべき惑星を求めて旅をしている銀河系は、通称天の川銀河と呼ばれています。今からおよそ百年前、地球・月間戦争の災禍により、故郷地球を離れ、新たな新天地を探して旅を続けています」
 ドームには灼熱の太陽や、独特な縞模様を持つ木星、禍々しい赤い火星などが映し出され、最後に穏やかな深い藍色の星が現れた。
「もう、豊かな水と色彩の地球のような惑星とは巡り合えないかもしれません。それでも、銀河は希望で満ち溢れています。限りない可能性に満ちたこの星の海を、共に旅してまいりましょう」
 やがて、星座を彩る様々な神々や英雄たちの躍動感あふれる映像がドームいっぱいに広がり、不思議な音色の音楽が響き渡る。そのうち、観客たちの目の前に可愛らしい妖精たちが立体的に浮かび上がり、コミカルな踊りを披露する。子どもたちの喜ぶ声が上がり、ルコも目を輝かせて身を乗り出した。
 見る者を圧倒する星々の姿。心を揺さぶる音楽。目の前で繰り広げられる妖精たちの躍動。プラネタリウムは興奮の渦で満ち溢れていった。

 プログラムは2時間ほどだった。満足げな表情で観客たちがプラネタリウムを後にする中、ルコとラタオの姿もあった。
「すごかったです! あんなふうに目の前に妖精や天使がいっぱい! 星も綺麗でした!」
 おおはしゃぎでまくし立てるルコにラタオも機嫌のよさそうな表情で頷いている。
「最近の立体映像はすごいからねぇ。気に入ってもらえてよかったよ」
「今まで見たプラネタリウムと全然違いました!」
 興奮気味のルコを通り過ぎる人たちからさりげなく守りながら、ラタオはモノレール乗り場に連れてゆく。
「どうする? 開放エリアは24時間開いてるけど、お家に帰るのに時間がかかる?」
 お家という言葉にはっと我に返る。
「そうですね……。乗り換えとかあるし……」
「じゃあ、ゲートまで帰ろう」
 ふたりはモノレールに揺られている間、プラネタリウムで見た美しい映像や音楽について語りつくし、あっという間に軌道エレベータのゲートステーションに到着した。モノレールから降りると、疑似天蓋は薄桃色の夕焼けに装いを変えている。もうこんなに時間が過ぎていたのか。
「じゃあ、乗り方はもうわかるね」
「はい。あ、ラタオさん」
 ルコは改まった表情で居住まいをただすと、ぺこりと頭を下げた。
「今日は本当にありがとうございました」
 顔を上げると、目の前には気のいい表情で見守るラタオの姿がある。
「気分が悪くなった時、本当に心細くて……。嬉しかったです」
「そんなたいしたことをしたつもりはないけど、でもよかったよ、楽しめて」
「はい」
 嬉しそうに返事をするルコににこっと笑いかける。
「――じゃあ」
 少しだけさびしそうに眉をひそめ、ルコは軽く頭を下げた。
「うん、気をつけて帰ってね」
 肩のあたりで小さく手を振ってくるラタオに、もう一度微笑みかけてからゆっくり背を向けた。
 公園からはまだ手回しオルガンの旋律が風にのって運ばれてくる。子どもたちのはしゃぐ声。楽しげな恋人たちの語らい。ひとりになった寂しさが少しずつ、少しずつ胸を満たしてゆく。でも、いいんだ。ラタオのおかげで、短い間でも楽しめた。家と学校の往復しかしない味気ない暮らしでは考えられない鮮やかなひと時。やはり、今日ここへ来てよかった――。
「ルコちゃん!」
 不意に現実へ引き戻す呼び声。驚いて振り返ると、ラタオが息を弾ませて追いかけてくる。
「ラタオさん」
 追いついたラタオは呼吸を整え、ポケットからシェルを取り出すと画面を見せる。
「これ、俺のチャットアドレス」
 その言葉に目を見開いて相手を見上げる。ラタオは少し恥ずかしそうにささやいた。
「よかったら……、次の開放日に、また会えないかな」
 思わず、無言で見つめあうふたり。驚くルコに、ラタオは少し表情を引き締めてみせる。その力強い眼差しに、ルコは彼の人柄をみたような気がした。
「はい」
 はにかんだ表情で口にした言葉に、ラタオは安堵の笑顔になる。ルコもポーチからシェルを取り出すと画面をかざす。柔らかな電子音が響き、ふたりの連絡先が交換される。
「ありがとう」
 ラタオは嬉しそうな顔で端末をポケットにねじ込んだ。
「じゃ、メッセージ送るよ。また再来月ね」
「来月でしょう?」
 何気ない返事にラタオの動きが止まる。ルコはその表情に口をつぐんだ。そして、あっと声を上げると口を手のひらで覆う。ラタオは寂しそうに微笑んだ。
「君は来月だけど、俺は再来月」
 見つめあうふたりに、時計台の鐘の音が降りそそぐ。生あたたかい、人口の風が頬をなでてゆく。まるで、時が止まったようだった。

 止まってしまえばよかったのに。

 ルコは後からそう願うことになる。

 ふたつの居住船からなる移民船団GET2。移住可能の惑星を探査・研究する人々が暮らすAクラスと、船団の運航を支える人々が暮らすBクラス。それぞれの自転周期が異なるため、ふたつの船に流れる時間は違うのだ。Bクラスの時間は、Aクラスの2倍の速さで流れている。

 来月、ルコが会うラタオは再来月のラタオ。1年後に会うラタオは、2年後のラタオ。

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