満天通信

【05 星に願いを】

 

 手のひらの中に浮かぶ宇宙を見つめる。黒い宇宙空間に閉じ込められた星雲。きらきらと色とりどりに輝く星々。そのきらめきは、かえって心を陰鬱にしていくようだった。心はどこまでも続く真っ暗闇の空間へ飲まれていきそうな。じっと見つめていると、そのまま引きずりこまれて――。
 ドアをノックする音。はっと顔を上げる。
「ルコ、ユッカちゃんよ」
 母親の声にベッドの縁から立ち上がる。と同時にドアが開く。
「ルコ」
 ちょっと寂しそうに微笑むユッカ。母が傍らからお茶のセットを載せたトレーを差し出す。
「ゆっくりしていってね、ユッカちゃん」
「はい、ありがとうございます」
 ユッカに椅子をすすめると彼女はカバンの中のタブレットを見せる。
「今日のノート、送っておいたから」
「……ごめんね」
「何言ってるのよ、水臭いわね」
 ふたりでお茶を口にし、低い溜息をつく。
「落ち着いた?」
 ユッカの言葉に黙ってうなずく。しばらく沈黙を守っていたルコだが、気が重そうに口を開く。
「……学校に行くのいやだな」
「あいつらなら早速学生課にしょっぴかれてたよ」
 思いもかけない言葉にルコの目が大きく見開かれる。
「昼には連れて行かれて、帰ってきたときにはずいぶん落ち込んだ様子だったし、今日から1週間謹慎処分」
 言葉を失っているルコに、ユッカは複雑な表情で付け加える。
「ガーディアンが働いたみたいよ。ありがたいことだけど、ちょっと怖いよね」
 ガーディアンとは、GET2全域に配備されている監視システムのひとつで、主に学校施設に運用されているものだ。GET2は宇宙空間に浮かぶ船であり、集団行動を乱す行為は厳しく罰せられる。「いじめ」も監視の対象なのだ。ルコはうろたえて顔を伏せた。
「じゃ、じゃあ、私たちの会話も学校に……」
「モニターされてるだろうね」
「ご、ごめんなさい、ユッカ、私、あなたにも迷惑かけるかも」
 思わずまくし立てるルコにユッカが肩を押さえる。
「落ち着きなって。私もあんたも大丈夫。なんにも悪いことなんかしてないんだから」
 しっかりとした口調はルコを少し落ち着かせた。ユッカは少し困ったように笑った。
「移民政府はふたつのクラス間による差別を禁じているし」
「でも」
 怯えた眼差しで見つめてくるルコに、ユッカも眉をひそめて溜息をつく。
「……正直、心配ではあるけれど」
 何か言いたそうな顔つきのルコに手を上げて制すると、ユッカは身を乗り出してささやいた。
「私、ルコが開放エリアでラタオさんと出会ってから毎日楽しそうに過ごしているのを見てとっても嬉しかったけど、同時に不安だったわ。話に聞く限り、ラタオさんは仕事も真面目にやってる人だし、優しいし、でも、やっぱり開放エリアでしか一緒にはいられない人だから……」
 ルコは反論できなかった。自分が不安に思っていることすべてだったからだ。ふたりはうつむいて黙り込んだ。ルコの脳裏に、ラタオと出会ってから今日までのことが思い返される。ひとりで訪れた開放エリアを案内してくれた優しさ。会うたびに何かを教えてくれる頼もしさ。そして、ふたりで過ごす時間の楽しさは何物にも変えられなかった。
だけど、この楽しさは「今」だけのもの。無限には続かない。いつまでも続けるわけにはいかないのだ。ふたりは、違う世界に生きているのだから。
「綺麗」
 不意に上がる言葉。ルコが顔を上げると、ユッカが机の上に置いてある黒いガラス質の塊を指差している。ルコは表情をほぐした。
「宇宙の切り出しよ」
「宇宙の切り出し?」
「開放エリアにあるプラネタリウムで観測した宇宙空間を再現した樹脂のオブジェ。ラタオさんに買ってもらったんだ」
 ユッカは興味深そうに宇宙の切り出しをためつすがめつ眺める。やがて、その目が細められる。
「……いつか、どこかの星に移住できるのかな」
 ぽつりとつぶやいたその言葉にルコも目を瞬かせる。
「移住できる星が見つかったらさ、みんな一緒に暮らせるでしょう」
「……うん」
 ルコは苦しそうに口許を歪めた。
「でも、私たちが生きている間に見つかるかな……」
「ルコ」
 ユッカは再び力のこもった言葉で呼びかけた。
「AクラスとBクラスに分かれていても、結婚はできるのよ、知ってる?」
「け、結婚って」
 あまりにも突拍子もない言葉にルコは顔を真っ赤にしてたじろぐが、ユッカはルコの隣に腰をおろして熱弁をふるった。
「確かに先の話だけどさ、クラスが違っていても法律上結婚することはできるし、子どもも作れるんだよ。ほら、ハイブリッドっていうの」
 ハイブリッドならルコも知っていた。AクラスとBクラスの両親を持つ子どもで、14歳までは両親の決めたクラスで育ち、15歳で自分が生きるクラスを選択できるのだ。人口比率でいえば2パーセントほどの数がいるらしく、母親と同じクラスを選ぶ傾向が多いという。
「最近ルコも聴いてる天球儀ラジオのユェンもハイブリッドだって噂よ」
「えっ」
 あの温かみのある優しい語り口のパーソナリティは、ハイブリッドなのか。だが、思えばあの優しさはハイブリッドゆえに生まれたものなのかもしれない。だが、ユッカはさらに言葉を継いだ。
「ヤン・イェン・ヴェッガもね」
 少し前までGET2全域を騒がせていた英雄の名に、ルコは息を呑んだ。
「ヤンが離脱したのは、生まれ故郷のクラスに帰るためだとか、別れた親に会うためだとか、そんな噂もあるらしいわ」
 ふたりは真顔で見つめあった。ユェンもヤンも噂に過ぎない。だが、思わず信じてしまいそうな話だ。特にヤンは、それですべて説明がつく。だが、ユッカは静かに吐息をつくと諭すようにささやいた。
「とにかくさ、クラスを違う人を好きになったからって、恥ずかしいと思うことはないよ。ルコたちも、お互いの気持ちを強く持ってほしいな。同じ経験をしてきた人たちはたくさんいるんだから」
 その言葉はルコの胸奥深くまで染み入った。思わずユッカの手を取る。
「……ありがとう、ユッカ」
 彼女は力強く微笑んだ。

 結局ルコは3日ほど家で休み、学校に復帰した。その数日後、件のクラスメートたちも復帰したが、彼女たちはただ無言で見つめてくるだけで近寄ってもこなかった。後味は悪いが、これからは関わらなくて済む。担当の教師から時々様子を尋ねられるぐらいで、平穏な学校生活が戻ったことに、ルコは安堵した。
「ただいま」
「おかえり、学校はどうだった?」
 帰宅すると、母親が心配そうに声をかけてくる。
「うん、大丈夫」
 そこで息をつくと肩をすくめる。
「あの子たちも全然近寄ってこない。ガーディアンが怖いんだろうね」
 母親は眉をひそめながらもうなずく。
「監視社会がいいのか悪いのか、わからないところね。でも、今回は間違いなくあなたは助けられたわ」
「うん」
「父さんも心配していたから」
 その言葉に、ルコははっと思い出した。そして、怖々と母親の顔色をうかがう。
「そういえばさ、母さん……」
「どうしたの?」
 しばしもじもじした挙句、小さな声で切り出す。
「……今度の開放日、ラタオさんと夕食してもいい……?」
 ラタオの名に母親は驚きはしたが、顔をしかめることはしなかった。
「じゃあ、夜に食べて帰るってことね?」
「うん。ラタオさん、誕生日だから」
「そう」
 少しのあいだ考え込んだ素振りを見せた母親は小さくうなずいた。
「父さんには私から言っておくわ。あまり遅くならないようにね」
「うん、帰るときに連絡する」
「そうして」
 ラタオには、学校での出来事を伝えていない。言えば心配するだろうし、離れていることに不安な気持ちを持っていることを知られたくなかった。だが同時に、別の不安も頭をもたげる。彼は、どれぐらい自分のことを思っているのだろう。自分が悩んでいるのと同じぐらい、ふたりの間の距離をもどかしく思っているのだろうか。それとも、こんなことを悩むのはおこがましいことだろうか。聞いて確かめるなんて、できない。もやもやした思いを抱えたまま、ルコは机の上の時計を見つめた。自分に流れる時間と、倍の速さで進んでいく時間を。

 待ちに待った開放日。いつも出かけるときは着ていく服装を気にかけるルコだが、今日はいつも以上に気合いを入れたつもりだ。お気に入りのチョコレート色のワンピースに、パフスリーブのブラウス。お小遣いを貯めて買ったベレー帽。母親に冷やかされながら家を出たとき、心配そうな表情でこちらを眺める父親の姿が目に入った。
 軌道エレベータまでの道のりはすっかり覚えた。搭乗手続きも今やスムーズにこなせる。エレベータの真っ白な空間で、ルコは手にしたショッピングバッグをのぞき込む。プレゼントはいらないと言われたが、何か贈りたかった。
 開放エリアに到着すると、いつもの場所で待つ。ドキドキしながら何度も腕時計を確かめていると。
「お待たせ」
 後ろから呼びかけられ、飛び上がって振り向く。そこには、見慣れないジャケット姿のラタオが。にっと笑うと手を上げる。
「おっ、今日はまた可愛らしい恰好だね。ちょうどよかった」
「えっ?」
 目を丸くして身を乗り出す。
「実は今日のディナーさ、ちょっといいレストラン予約したんだよね」
 そう言って得意げに笑うラタオに、ルコも笑みがこぼれる。
「わぁ、楽しみ!」
「うん、期待しててよ」
 そして、ちらりと腕時計を見やってから後ろを指差す。
「今日さ、星雲楽団のコンサートやるらしいんだ、良かったら聴きにいかない?」
「えっ、星雲楽団?」
 星雲楽団はAクラスで人気の楽団だ。
「コンサート見たあとでランチして、それから……、植物園を見に行って、それからメインのディナーというのが今日のプランなんだけど」
 盛りだくさんの内容にルコはぷっと吹き出した。その意図を察したラタオは恥ずかしそうに頭を掻く。
「ごめん、自分の誕生日だからってはしゃぎ過ぎだね」
「ううん、いいんです。行きましょ!」

 地球の古い音楽を現代の音楽と融合させた楽曲で人気の星雲楽団のコンサートは大盛況だった。映像などの演出もあり、コンサートというより、映画や演劇でも見ているような感覚に圧倒されたルコたちは、以前訪れた水路沿いのカフェでランチを済ませた。

 食事を終えてラタオがルコを連れ出した植物園は、開放エリアでも上層エリアに
浮かぶ・・・、通称「空中庭園」だった。
 さえぎるものが何もない、長い長いエスカレーターでゆっくり上がっていくうち、緑がしたたる庭園が見えてくる。
「あっ!」
 小さな青い花が敷きつめられた花畑がまず目に飛び込む。ルコが指差す先をラタオも興味深そうに眺める。やがて見えてきたのは色とりどりの背の高い花々がぐるりと囲んだ
四阿あずまや
「すごい、綺麗」
「そうだね」
 エスカレーターが庭園の正面に到着し、人々は歓声を上げて散策を始める。
「すごいなぁ。これだけの生きた花を管理するの大変だよなぁ」
 花の美しさよりも管理面を気にするラタオにルコは思わず笑いをもらす。やはり、仕事をしている大人は見るところが違うのだ。
 水色や白、ピンクの小さな花々が身を寄せ合うようにして咲いている様子をしゃがんで眺める。可愛い、と呟きながら指先でつついていると。
「ルコちゃん、そういえばそろそろ卒業じゃないの?」
 ラタオの言葉に振り返る。
「はい。来月、卒業です」
「じゃあ、次に会う時は高校生だね」
 立ち上がりながら顔をほころばせる。
「高等部に上がるだけだから、あんまり実感はないですけど」
「大学を目指すの?」
 そう問われて困ったように口をへの字に曲げる。
「行きたいけど……、まだ何をしたいのかわからなくて」
「そっか」
 風にそよいでうなじを揺らしている白百合に囲まれたラタオは、ちょっと考え込むそぶりを見せてから言葉を続けた。
「行けるんだったら行ったらいいと思うよ。俺は技術学校しか出てないけど、大学に行けばいろんな選択肢ができるんじゃないかな」
 そうか、選択肢は多い方がいい。
「俺は機械いじるのが好きだからエンジニアになりたかったんだ。だからあまり悩んだり迷ったりはしなかったけど、いろいろ探すのも悪くないと思うよ」
 ルコは頼もしそうにラタオを見上げると微笑んだ。
「はい。探してみます」
「うん。これからどんなものと出会うかわからないしね」
 さすがだ。折に触れてラタオの包容力を感じてきたが、自分はこのおおらかな優しさに惹かれているのだと改めて実感する。
 ふたりはこの後、園内のストアで手作りアロマオイルのブレンドに挑戦したり、草花の香りを心ゆくまで堪能してから空中庭園を後にした。

 開放エリアの
疑似天蓋スクリーンがほんのりと茜色に色づき始める。いつもならそろそろ帰らなければならない時間だ。だが、ラタオはルコの手を取って嬉しそうに一軒のレストランを指差す。
「ほら、ここが今日のレストランだよ」
「……わぁ」
 ルコはぽかんと口を開けて立ちつくした。クリスタルをふんだんに使ったエレガントな美しいドームを持つ優雅な建物。いかにも敷居が高そうな雰囲気ではあるが、中へ入っていくのは家族連れも見受けられる。皆きちんとした服装だが、かしこまった着こなしではない。
「一流の料理とサービスを気軽に、っていうスタンスのレストランなんだってさ」
 なるほど。それなら自分でも入れそうだ。期待と緊張が入り混じった胸の高鳴りを感じながらエントランスをくぐる。
 中へ入るとルコはわっと声を上げて口を押えた。広々と下真っ白なフロアに美しくセッティングされたテーブル。きらきらと輝きを放つクリスタルのシャンデリアがここかしこに吊り下げられている。
「ご予約はお済みでいらっしゃいますか」
 初老の案内係が穏やかな口調で問いかけ、ラタオが応じる。
「ラタオ・ウェッソン様ですね、お待ちいたしておりました。どうぞ」
 予約した席までエスコートされながらきょろきょろと辺りを見渡すルコを見やって、案内係がラタオに小声で申し出る。
「よろしければ、お連れ様にはカクテル風のソフトドリンクを……」
 思いがけない心遣いにラタオは嬉しそうに頷いた。
 案内された席に腰を落ち着け、ルコはわくわくした顔つきでシャンデリアを見上げる。
「勝手にコースを予約しちゃったんだけど」
「お、おかまいなく」
 慌ててしどろもどろに答えるルコにラタオが吹き出す。
「緊張しすぎだよ! とはいえ、俺も慣れてないけどね!」
 周りを見渡すと、家族連れの客たちが嬉しそうに会話を楽しみながら料理を進めている。そんな光景を見てやっとルコの肩から力が抜ける。
「けっこう家族連れも多いからさ。建物は豪華だけど意外とカジュアルなところなんだよ」
「みたいですね」
 そう言ってる端からウェイターがボトルとグラスを差し出す。
「本日はウェッソン様のお誕生日のお祝いとお伺いしております。シャンパンでございます」
 細身の洒落たグラスに金色のシャンパンが注がれ、ルコにもきらきらと炭酸が踊るグラスが差し出される。
「お嬢様には、シャルドネのスパークリングでございます」
「しゃ?」
 目を丸くして身を乗り出すルコにウェイターが耳許で囁く。
「白ぶどうの炭酸ジュースでございます」
 炭酸ジュース。吹き出しながらも安心してグラスに手を伸ばす。
「じゃ、乾杯」
「お誕生日おめでとう!」
 ルコの言葉にラタオも嬉しそうに笑い、軽くグラスを掲げる。「シャルドネのスパークリング」を口に含む。上品な甘さと芳醇な香りが体中に満ちてゆくようだ。
「美味しい」
「料理にも期待だね」
 やがてシーフードを使ったサラダが運ばれる。美味しい。ドレッシングがシーフードによく合っている。次に運ばれたのは野菜のポタージュ。牛ヒレのソテーと次々に饗される。
「美味しいね。予約してよかったよ」
「美味しいし、こんな雰囲気でお食事なんて初めてで……。なんか嬉しい」
 料理を前に微笑むルコに、ラタオは怪訝そうに身を乗り出す。
「Aクラスで暮らしてるんだし、こういうところ家族で行ったりしないの?」
 言われて首を傾げる。
「うちは……、こんな豪華なところには来ないです。もっとこぢんまりとしたところが父さんは好きみたいで」
「なるほどね」
 頷きながらソテーを口にしてから恥ずかしそうに肩をすくめる。
「へへ。勝手にAクラスって豪勢なところだと思ってた」
「そうでもないですよ」
 そう言ってから、ルコの脳裏にクラスメートの言葉が蘇った。

「Aクラスのお嬢様で遊んでるんでしょ」

 瞬間、胸に苦い感情が広がって思わず顔をしかめる。
「ルコちゃん?」
 心配そうに呼びかけてくるラタオにはっとする。
「あ、なんでもないです」
 慌てて笑顔を取り繕うと、ラタオは安心したようにグラスを取り上げる。
「お腹いっぱいになっちゃったな。美味かった」
 満足した表情で腹をさするラタオをじっと見つめる。自分のAクラスでの暮らしぶりを知らないラタオ。自分だって、彼がBクラスでどんな暮らしを送っているのかわからない。信じるしかないのだ。「わからない」の溝は、聞くことで少しずつ埋めていくしかない。それでも埋められない溝は自分だけでなく、相手にもあることを忘れてはいけない。ルコは小さく息をついてから、傍らの鞄から薄い紙包みを取り出す。
「ラタオさん、お誕生日プレゼントがあるんですよ」
「えっ」
 思いがけない言葉だったのだろう。ラタオは半ば飛び上がるようにして居住まいを正す。差し出した包みに恐る恐る手を出す。
「いいの、ルコちゃん。大事なお小遣いだろ」
「いいんです。いつも楽しいところに連れていってくれるお礼です」
 少し胸を張って言ってみせると、ラタオは驚いた表情を見せつつ、包みを広げた。
「あっ、これ、
携帯端末シェルのカバー?」
「はい」
 早速ポケットからシェルを取り出すといそいそとカバーを取り付けるラタオをにこにこと見守る。
「へぇー! シェルと連動して時間が表示されたり画像を映すこともできるんだ。すごいね!」
「気に入ってくれました?」
 シックな黒色のシャープなカバーに美しい青い光が浮かび上がる。まず日付が浮かび、やがて時刻を告げる。その一連の動作を見守ってからラタオは喜びの表情で身を乗り出す。
「かっこいいね。ありがとう、気に入ったよ!」
 良かった。ほっと安堵の微笑を浮かべるルコに、ラタオは不意に真顔になる。
「そうだ。実はさ、俺も……。ルコちゃんに渡すものがあるんだ」
「え?」
 ジャケットのポケットに手を突っ込むと、白くて小さな箱を取り出す。小箱を見やってから、やや緊張した面持ちでそっと差し出す。
「……気に入ってもらえるといいんだけど」
「なんですか?」
 不思議そうに聞きながら小箱を受け取る。蓋を開けると、青いベルベットのケース。眉をひそめてケースを取り出し、蓋を開けると。
「えっ!」
 短い悲鳴のような声に、テーブルの横をゆくウェイターが一瞬振り返る。
 ケースに収まっていたのは、きらめく宝石がちりばめられた小さな星形のネックレスだった。シャンデリアの光を受けてまばゆく光る星が瞳に映し出される。ルコはおろおろした表情で顔を上げると、まだ少々強張った顔つきのラタオがじっと見つめてくる。
「ら、ラタオさん、これ――」
「うん。そんな、高いもんじゃないんだ」
 恥ずかしそうに頭を掻くと小さな声でぼそぼそとつぶやく。
「俺たち……、出逢ってから1年たつんだ」
 そして、ちょっとだけ寂しそうに笑う。
「ルコちゃんは半年だけどね」
 ルコは混乱したまま再びネックレスを見つめる。その間、ラタオの優しい声が続く。
「この1年、すごく楽しく過ごせたよ。会えるのは2カ月に一度だけど、仕事しかしてなかった毎日が変わったんだ。そのお礼と……」
 小さな声がますます小さくなり、ルコはケースを握りしめるとにじり寄る。
「前さ、仕事のせいで会えない時があったじゃん。あの時のことがずっと気がかりで……」
「そんな」
 あの時のことをまだ気にしていたのか。ルコは呆然としてラタオを見守った。
「楽しみにしてた観覧車に行けなかったし、その、俺も会えないのは寂しかったし。その時の、お詫びも込めて、さ。――あっ」
 不意に上がる声。ルコがぽろっと大粒の涙をこぼしたのだ。
「え、え、ルコちゃん、大丈夫?」
 思わずケースを握りしめると額に押し付ける。
 ひとりじゃなかった。ひとりで悩み、ひとりで落ち込み、ひとりで迷っていたと思っていた。でも、本当はひとりじゃなかった。ラタオも同じ気持ちでいてくれた。感謝と嬉しさに、ルコはあふれる涙を止められなかった。

 レストランを後にすると、疑似天蓋は蒼い夜空に染まっていた。振り返ると、クリスタルのドームが一層きらびやかに輝いている。
「綺麗」
「うん」
 ライトアップされたレストランをふたりで眺める。ラタオはポケットからシェルを取り出すとにこっと笑いかけた。
「ありがとう。今日から使うのが楽しみだよ」
 その言葉にルコも微笑む。と、ラタオは何か思いついたようにシェルのカバーをまじまじと見つめる。
「どうしたんですか?」
「うん」
 呼びかけに晴れやかな顔を上げ、シェルを振ってみせる。
「時刻はAクラスとBクラス、両方を表示させるよ」
 目を見開くルコに言葉を続ける。
「いつでもAクラスの時間がわかるようにね。ルコちゃんの時間が」
 私の時間。その言葉が魔法のように胸をあたためてゆく。思わず顔をくしゃっとほころばせる。と、ラタオが歩み寄ると背を屈めたかと思うと軽く唇を重ねてくる。息をのみ、思わず体を固くすると肩を優しく叩かれる。
「……また、次の開放日にね」
 こくりと頷くルコに、ラタオは優しく微笑んだ。

 軌道エレベータステーションで別れると、ルコは母親に短いメールを打った。「今からエレベータに乗る」。ロビーでしばらく待ち、やがて到着したエレベータに乗りこむ。席についてから、カバンにしまった箱を取り出した。
 つややかなベルベットのケースをなでてから開ける。ライトに照らされた金色の星型ネックレスが姿を現す。ルコは表情をゆるめると星を指先でなでる。これからはいつも一緒だ。贈り物をもらったからじゃない。自分のことを気にかけてくれた証が嬉しかった。がんばろう。なかなか会えない環境になんか負けない。そう決意するルコを乗せたエレベータは、やがてAクラスのゲートに到着した。
 ゲートステーションから見える疑似天蓋はすっかり夜色に染まっている。早く帰らなきゃ。リニアモーターカーのステーションへ向かおうとした時。
「ルコ」
 耳に馴染んだ声に立ち止る。振り返った先にいたのは、
「父さん」
 父親がひとり佇んでいることにルコは驚きの表情で立ち尽くす。
「え、迎えにきてくれたの……?」
「うん。夜遅いからな。帰ろう」
 そう言って、父親は背後に停めておいた
自動車EVに乗るよう促した。
 EVは完全自動制御自動車だ。自宅までのルートを設定すると、EVは滑るようにして発車する。ルコは、向かい合って座る父親を恐る恐る見上げた。
「……心配して迎えにきたの?」
 娘の問いに、ウィンドウから外の様子を眺めていた父親は振り返った。
「遅いからね」
「それだけ……?」
 不安そうな表情に父親は困ったように笑って溜息をつく。そして、少しの沈黙の後い口を開く。
「ルコに……、話しておきたいことがあってね」
 なんだろう。緊張を崩さないまま耳を傾ける。
「父さんな、Bクラスに友達がいるんだ」
「えっ」
 思わず身を乗り出す。
「父さんの観測結果を分析してくれるエンジニアでね。言ってみれば仕事仲間なんだけど、父さんは友達だと思っている」
「会ったことはあるの?」
「うん、開放エリアでね。ルコは知らないだろうけど、開放エリアにはビジネスゾーンと呼ばれる場所があって、商談やミーティングができるんだ。そこで3回ほど打ち合わせで会ったよ。食事もしてね」
 ルコは小さく頷いて先を促した。父親は言葉を選ぶようにゆっくりと語った。
「とても真面目で誠実な青年でね。去年結婚してますます仕事に励んでいる。本当に優秀なエンジニアだよ。父さんの研究にも欠かせない存在だ」
 よほど信頼をよせているのだろう。父親の語る言葉をひとつひとつ考えながら耳を傾ける。父親はそこでかすかに顔をしかめた。
「でもね、Aクラスの研究者の中には時々Bクラスのエンジニアたちを見下す連中がいてね」
「ひどい」
「だろう? 見下すだけではなく、彼らの仕事に信頼を置いていないんだ。うんざりすることがよくあるよ」
 父親からこんな話を聞くなんて。ルコは知らず知らず胸が重く締めつけられてゆくのを感じた。
「でも父さんは彼の分析を一流の仕事として信頼しているし、尊敬している。それに、思うんだ」
「なに?」
 言葉を切った父親に畳みかける。父親は深い溜息をついた。
「クラスに隔てられず、一緒に仕事ができたらどれだけ研究がはかどるだろうって」
 もっともな言葉にルコは大きく頷いた。だが、父親はしかめた表情のまま声を低めた。
「……だから、思うんだ。移民政府は、本当に移住先を探す気があるのかな――、って」
 移住先を探す気があるのか。
 ルコは全身に鳥肌が立っていくのをはっきりと感じた。思わず両腕を抱く。言葉をなくしている娘に、父親は表情をゆるめると口許に指先を当てる。
「……内緒だよ」
 思わず力強く頷く。そんなルコに安心したように微笑むが、すぐにまた真顔に戻ると体を起こす。
「……学校はどうだ」
 すぐには返答できなかったが、ルコは「大丈夫」と囁いた。
「……あの子たちはもう寄ってこないわ」
「そうか」
 父親は目を伏せると吐息をついた。
「学校から連絡があってね」
「えっ」
 思いがけない言葉に恐怖を感じたルコに、父親はそっと頭をなでた。
「いじめに関する調査結果の報告と、いじめが起こってしまったことに対する謝罪だった。でも……、これから先気を付けるんだぞ、ルコ」
 ルコは、父親の力強い表情から目をそらせなかった。


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