七夕

 

 いつもの朝。いつもの駅前。里村雄輔はいつものように自転車に跨り、待ち人の姿が見えないかと改札付近をきょろきょろ見渡していた。
「里村くん」
 聞きなれた声に振り返る。艶やかな黒髪を揺らし、手を振ってくるクラスメートに自然と表情もゆるむ。
「おう」
「おはよう」
 雄輔は自転車から降りるとはにかんだ笑顔で並んで歩き始める。
「ねぇ、あれ」
 佐倉衣緒が指さす方向へ目を向けると、駅前の店々が軒先に笹を並べている。
「七夕だね」
「そうか、もうそんな季節か」
 店の従業員たちが色取り取りの短冊を笹に一枚一枚結わえつけていくのを見守る。瑞々しい緑の笹に赤、青、黄色といった鮮やかな原色の短冊が風にそよぐ様はなんとも風流だ。その様子を眺めながら歩いていると、そのうちちょっとした人だかりが見えてくる。
「なんだろう」
 衣緒の言葉に身を乗り出す。と、
「短冊に願い事書いていってくださーい」
「どなたでも書けまーす」
 店先に出された長机で、通行人が幾人か屈みこんでいる。
「短冊書けるんだ」
 少し弾んだ衣緒の声に、雄輔が笑顔になる。
「よし、書いていこうぜ」
「うん」
 自転車を脇に停めると、店の従業員が笑顔で短冊とサインペンを差し出してくる。
「どうぞー。お願いしまーす」
 ふたりは短冊を受け取ると机に向かった。雄輔は短冊いっぱいに「志望校行けますように」と書き殴る。
「受験生?」
「あ、いや、まだですけど」
 はにかんでそう答えると、そそくさと笹に向かう。細紐で笹に結わえつけていると、少し離れたところで衣緒が同じように結びつけている。
「佐倉、なんて書いた」
「ないしょ」
「なんだよ」
 しゃがみこんで覗こうとすると衣緒は慌てた様子で両手で背中を押してくる。
「ほら、行こ行こ! 遅刻するよ」
「ちぇー」
 口を尖らせながらも、彼女が嫌がることはするつもりもない雄輔はおとなしく引き下がった。
 だが。
 当然、内容は気になっていた。

 その日の放課後。いつものように図書室で過ごし、のんびりゆっくり熊谷駅へ向かう。やがて、通行人の短冊を飾った笹の一角が見えてくる。
「朝よりも少し増えてるな」
「うん」
 さらさらと風に揺れるたくさんの短冊を横目に改札へ向かう。
「じゃあね、また明日」
 また明日。彼女がいつも口にするこの言葉。雄輔はにかっと笑って手を振る。衣緒は控えめに笑うと背を向けて改札へと消えていった。
 その姿を見届けると、雄輔は自転車を担いで方向を変え、今来た道を引き返す。目指す先は笹の沿道。戻ってくると、帰り道と見える学生や主婦たちが短冊に願い事を書いている姿があった。
「確か……、この辺……」
 今朝、衣緒が短冊を結わえていた辺りを探す。確か紅色の短冊だった。紅色の短冊を一枚一枚めくっているうち、見覚えのある字が目に入る。覗き見るつもりで探していたものの、いざ見つけてしまうと少し気が咎める。が、それでも見たいという気持ちには勝てなかった。雄輔は思い切って短冊を表に返す。そして、記された言葉にはっと息を呑んだ。

 翌朝。熊谷は曇り空だった。曇天を見上げながら自転車に跨っていると、「里村くん」と声がかけられる。
「おう」
「天気悪いね」
 同じように空を見上げた衣緒が憂鬱そうに漏らす。物憂げな眼差し。白い喉許に思わずどきりとする。
「早く梅雨明けねぇかな」
 どぎまぎしながら返すと、衣緒は溜息交じりに「そうだね」と呟いた。歩き出すと、沿道の笹たちが見えてくる。空気が重いせいか、短冊もどんよりと垂れ下がっているように見えてしまう。雄輔はちょっと寂しそうに息を吐いた。
「七夕は晴れてほしいなぁ」
 その言葉に、衣緒は首を傾げて見上げてきた。
「野球観に行くの? 七日」
「いいや」
 不思議そうな顔つきのまま見つめてくる衣緒に、雄輔はちょっと照れくさそうに答える。
「だってよ。晴れた方が願い事叶いそうじゃん」
 衣緒のいつもは切れ長の瞳が大きく見開かれる。そして、くしゃりと顔がほころぶ。
「そうだね」
 曇天の下で咲いた笑顔に雄輔も嬉しそうに微笑む。
 ふたりは穏やかな笑顔で笹の沿道を通り過ぎた。微風を受けた短冊たちが一斉に踊る。ふたりを見送りながら。
 その中の一枚。紅色の短冊にはこんな言葉が刻まれていた。

「お父さんといつまでも一緒にいられますように」




終幕

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