満天通信

【04 リダツ】

 

 カーテンを開けると目を細める。疑似天蓋スクリーンは一面のミルク色に覆われている。そうだ。今日は霧の日だ。Aクラスでは、空気の清浄を目的とした人工の霧を定期的に発生させる。繭のような白い霧がとっぷりとたれ込め、少しずつ少しずつ降りてくる。人々はうすい霞の中を静かにそぞろ歩く。
 霞がかった街をゆき、学校へ向かうとユッカがそわそわした様子で手招いてくる。
「ルコ、聞いた? アストロファイトのヤン」
「うん」
 カバンを降ろしながら頷く。
「まだ見つからないんでしょう?」
「私のパパ、ヤンの大ファンだからすごくショックを受けてるんだ……」
 落ち込んだユッカの表情から、彼女の父親の様子も想像できる。ルコは困惑の面持ちで溜息をついた。
「うちの父さんも母さんもずっとニュース見てた」
「もしも事故じゃなくて、自分から船外へ出ていったんだとしたら……」
 ユッカは声を低めると身を屈めてささやいた。
「カプセルに入れられて、宇宙空間に放り出されちゃうんでしょう?」
 放出刑。
 移民法で定められた刑罰でもっとも重く、もっとも酷いものだ。
 理由はある。宇宙空間を漂う移民船であるGET2は、船外の脅威から身を守らなくてはならない。AクラスとBクラスに厳格に隔てられた生活に不満を持つ者が船外へ脱出し、GET2を船外から攻撃することを想定し、船外離脱者には厳しい処罰を下している。それは、GET2が地球を旅立った時から変わらず続いていることだ。
「でも……、ヤンっていう選手は大人気だったんでしょう?」
「船外離脱に関しては、当局は絶対に手加減しないってパパが言ってた」
 ユッカのつぶやきに、背に冷たいものが走る。確かに、船外離脱に例外はない。事故であったことが証明されれば助かるが、それはたいてい衆人環視の下で起こった作業中のミスなどで、不問とされることが多い。ヤン・イェン・ヴェッガの件がここまで注目されているということは、どう考えても事故ではないということだ。
「パパのためにも、何かの間違いであってほしいな……」
 ユッカのせつなげな面立ちに、ルコはかける言葉が見つからなかった。

 その日の夜も、ラタオとのチャットの話題はヤンの船外離脱だった。

「学校でもみんな話してたんです。どうしてヤンが離脱なんかしたんだろうって」
「うん。こっちも1日中ニュースでやってたし、職場もその話で持ち切りだったよ。おかげで、今日はアストロファイトの試合は中止になったしね。熱狂的なファンも多いし、街中じゃ小競り合いが起きて大変だったよ」

 ラタオの言葉にルコは眉をひそめた。人気競技の試合中止となれば損失も大きいし、社会に与える影響ははかり知れない。どれだけ波紋を広げるのか、見当もつかない。

「ただわからないのは、実は彼、現役を引退したらAクラスに招聘されることが内定していたらしいんだ」
「えっ、そうなんですか?」
「なのになんで今、離脱したのか。謎が多いよ」

 確かに、GET2全域で英雄視されているヤンがAクラスに招かれても不思議ではない。現役生活を全うすれば、Aクラスで悠々自適の生活が保障されていたのに、なぜ。それとも、Aクラスでは手に入らない何かを望んでいたのか。

「もし見つかったら……、やっぱり放出刑になっちゃうんでしょうか」
「うーん、実はさ」

 しばしの間をあけ、再びモニターに文字列が浮かぶ。

「こっちじゃ、もう逮捕されて刑が執行されたんじゃないかって。もっぱらの噂だよ」

 ルコは思わず口を手で押さえた。すでに処刑されている?

「ヤンほどの戦闘能力がある人間なら、討伐隊が投入されるはずなのに、捜索隊が派遣されただけだっていうからね。実はもう捕まっているんじゃないかって」

 だとすれば、公表しないのはなぜだろう。謎は深まるばかりだ。

「このまま、何も発表がないんでしょうか」
「捜索を打ち切った、っていう発表ならあるかもしれない」

 何とも言えない気持ちでモニターを見つめる。そのうち、音もなく文字列が流れる。

「俺も、
囚われの英雄・・・・・・なんか見たくないよ」


 ラタオとのチャットを終え、ベッドにもぐりこんでからネットラジオをセットする。チャットの内容が頭から離れず、ぐるぐると思いを巡らせる。これまでも離脱者のニュースは目にしてきた。放出刑が執行されたことも。だが、これほどの有名人が騒ぎを起こすなど、前代未聞だ。そんなことを考えているうち、パソコンから軽やかな音楽が流れてくる。始まった。
「Aクラスの方はこんばんは、Bクラスの方はこんにちは。天球儀ラジオの時間です」
 ルコは起き上がるとカーディガンを羽織った。
「今日は、オープニングから少し大事なお話をさせていただきたいと思います」
 いつにも増して慎重な口調のユェン。やはり、何か語るのだ。ルコは身を乗り出して耳を澄ませた。
「みなさんもご存知のように、アストロファイト、チームUBのエースパイロット、ヤン・イェン・ヴェッガ選手が船外離脱の疑いで現在捜索中です」
 オープニングテーマの音楽が終わり、BGMがない状態でユェンの言葉だけが続く。
「私はヤン選手を応援していましたし、この番組にゲストとしてお招きしたこともあります。その時にいろいろなお話をさせていただきました。私は、彼がアストロファイトの世界で常に命がけのプレーを心がけているプロフェッショナルだったという確信を今も持っています」
 ラタオが言っていたように、アストロファイトは宇宙空間で繰り広げられる、戦争と紙一重の荒っぽい競技だ。そのため、ルコの家庭では中継を見ることはない。だが、多くの人を熱狂させ、楽しませている競技であることに間違いはない。
「あの時、彼はこう言っていました。アストロファイトはその過激な競技性から野蛮人のスポーツだと叩かれることも多いと。でも、自分たちは自分たちにしかできない戦闘技術で人々を魅了するのだと。そして、それこそが自分たちの誇りだと」
 気づけば、ルコは息を押し殺しながらユェンの言葉に聞き入っていた。
「……そんな誇り高い彼が、どうして船外離脱をしてしまったのか……。私にはわかりません。でも、何か理由があったにせよ、本当に故意に離脱したのであれば、罪は償わなければなりません。このGET2で生きている以上、ルールは守らなければならないからです」
 ユェンの言葉は力強くも優しさを感じさせるものだった。
「彼が何かを望んだ結果が離脱であれば、その何かをルールの範囲内で叶えてほしかったです。残念でなりません。……ですが」
 しばしの沈黙。ルコはモニターを見上げた。
「……私は、GET2の一員として、そして、ファンのひとりとして、ヤン・イェン・ヴェッガ選手のご無事をお祈りしております」

 天球儀ラジオでのユェンの言葉は人々の心を揺さぶったようだった。その日の放送を境に、ヤンに対する過剰な報道はなくなり、人々もことさら言葉を戦わせることはなくなったのだ。そして、GET2はようやく平穏な時を取り戻した。だが、ヤンの行方は今もわからない。

 それから数日たち、ルコは再び開放日を迎えた。開放エリアで落ち合ったラタオは、バッグから薄いタブレットを取り出した。
「今回はさ、Bクラスの街中を動画で撮ってきたんだ」
「わぁ!」
 会うたびにBクラスの様子をたずねる自分のためにわざわざ撮影してきてくれたなんて。公園のベンチで隣りあって腰を下ろしたラタオを、嬉しそうに見上げる。
「えーっと、ほら」
 手許のタブレットに街並みが映し出される。
「えっ!」
 ルコの目に飛びこんできたのは、密集した巨大な建築群。それも、疑似天蓋すれすれまでの高さ。それらを縫うようにして走るスカイビークル。
「すごい……! 怖い……! ぶつかりそう……!」
「ははは、Bクラス名物の風景さ」
 当然人を乗せているであろうスカイビークルが、けっこうなスピードで先を急いでいる様子にルコははらはらしながら見守る。
「うん、そうだな。ふだんからこういう風景を見慣れてるから、Bクラスはアストロファイトが流行るんだろうな」
 その言葉に思わず振り返る。
「……ヤン選手は、結局見つかりませんでしたね」
「そうだね」
 自分で撮影した動画を眺めながら、ラタオは目をすがめた。
「……天球儀ラジオは聞いた?」
「はい。ユェンさんらしい、優しいコメントでしたね」
 返事がない。ルコは首をかしげた。ラタオはやがて小さく息をついた。
「ユェンの言葉に、もちろん嘘はないと思う。でも……、なんというか……」
「どうしたんですか?」
 タブレットの映像はやがて、ビルの谷間を埋め尽くす
自動車EVの波に変わる。しばしの沈黙を続けてから、ラタオは静かに口を開いた。
「あのタイミングで、あの発言。なんか……、言わされてる感じがしてさ」
 言わされた? ルコは急に不安な気持ちに襲われた。
「言わされてるって……、誰に……」
 ラタオの曇った表情にますます心配そうに身を乗り出す。
「ユェンの言葉で明らかに騒ぎはおさまった。……移民政府がそう仕向けたんじゃないかってね」
 仕向けた? 移民政府が? なぜ、そんなことを。ルコは困惑の表情でラタオを見上げることしかできなかった。
「政府からすれば、英雄であるヤンの離脱を真似されたら困るもんな。このニュースがいつまでも話題になっていたら困るのさ」
 そんなことは思いもしなかった。いや、それともみんな同じことを感じ取っていたのだろうか。思いつめた表情で黙り込んだルコに気づくと、ラタオは明るい声で呼びかけた。
「ほら、職場のみんなだよ」
 言われてタブレットに目をやると、作業着を身に着けた男たちが笑顔で手を振っている。軌道エレベータゲートで初めてラタオと出会った時、点検スタッフたちの控室を訪れたことを思い出す。ルコは、ほんの少しだけ顔をほころばせた。
「……みんな仲良さそうですね」
「ああ、うちのチームは仲がいいと思うよ」
 おどけた表情でカメラに向かって手を振る人々を見つめていると、ルコにふとある思いが浮かんだ。
「ねぇ、ラタオさん」
「うん?」
 タブレットを指先でつつきながら返事をするラタオにささやきかける。
「Aクラスに住んでみたいって……、思いますか?」
 その問いに画面から顔を上げ、首をひねる。
「うーん! そうだなぁ、Aクラスねぇ」
 興味津々で見守るルコに、ラタオは頭を掻く。
「行ってみたいとは思うよ。Bクラスとは全然違うところだからね。でも、住むとなると」
 そこで一度言葉を止め、周りに眼差しを向ける。美しい並木道。ゴミひとつないタイルの広場。陽気なストリートオルガンが流れるオープンテラスのカフェ。ラタオは口をへの字に曲げた。
「Aクラスってこの開放エリアと似た感じだろ? この整然とした空気が……、果たして耐えられるかどうか」
 そして、思い出したようにルコを見下ろす。
「ルコちゃんは? ほら、この動画の街に住みたい?」
 言われて思わず顔を赤くする。そして、タブレットをのぞきこむ。
「……行ってみたいです。でも……」
 身をちぢこまらせ、ぼそぼそとつぶやく。
「……怖そう……」
「でしょ? 人口密集率がAクラスとは大違いだからね。実際、落ち着かないざわざわした街さ。でも、俺はAクラスみたいなところだと調子狂うだろうね」
 そう言いながらラタオは動画を終了させるとタブレットをボディバッグにしまった。
「でも一番は、自由に行き来ができるようになることだね」
 その言葉は、ルコの心のどこかを刺した。思わずラタオの腕にしがみつくと、彼はちょっと驚いたような表情を浮かべた。が、すぐに優しく呼びかける。
「さ、お昼食べに行こうか」
「はい」
 立ち上がっても腕にしがみついてくるルコにラタオは恥ずかしそうなそぶりも見せず、そのままにさせていた。
「あ、そうだ、ルコちゃん」
「はい」
「実は俺、来月誕生日なんだよね」
 誕生日。ルコは目を大きく見開くと立ち止った。
「お誕生日! じゃあ、来月お祝いしなきゃ!」
「と、言いたいところなんだけど」
 と、そこまで言ってルコはあっと声を上げた。ラタオも気の毒そうに肩をすくめる。
「そう。俺がこっちに来れるのは再来月だからさ」
「じゃあ……、ラタオさんにとってはお誕生日の後になっちゃいますけど、次の開放日に……」
「うん、一緒に過ごしてくれたら、嬉しいな」
 一緒にいたい。その言葉が嬉しくて、ルコは抱いた腕にますます力を込めた。
「お祝い、何にしようかな」
「無理しなくていいよ。そうだ。せっかくだから、誕生日祝いってことでディナーとかしたいね」
 いつもはルコの帰りが遅くならないようにと、夕方になる前にはゲートステーションで別れることになっている。
「ちょっと早い時間でもいいからさ」
「そうですね、母さんに相談してみます」
「うん。無理だったらいいからね」
 親友のユッカとは毎年互いの誕生日を祝っているが、それとは何かが違う。どうしてだろう。ルコは正体のわからない胸の高鳴りに戸惑いながらも、ラタオの温もりをかみしめた。

 開放日の翌日は、いつもより明るい気持ちで学校へ行けた。ラタオと一緒に1日を過ごせることが、自分にとってこんなにもエネルギーになっている。こんなことになるなんて、少し前の自分は予想できただろうか。
「ルコ、おはよう」
「おはよう」
 正門をくぐった時、ユッカの笑顔を見つける。
「昨日も開放エリアに?」
 ユッカの言葉にはにかんで頷く。その表情にユッカも顔をほころばせる。
「いい時間が過ごせてるんだね。ルコの顔見てるとわかるもん」
「そ、そう?」
 恥ずかしそうに戸惑うルコにユッカが吹き出す。
「うふふ、こんなルコが見られるなんて。思いもしなかったわ」
 親友の言葉にルコが思わず微笑んだ、その時。
「あ、いたいた」
 不意に投げかけられた声にふたりが振り返る。そこには、クラスメートの少女が3人ほど立ちはだかっていた。ルコは眉をひそめた。強い発言で知られるグループで、ルコやユッカは苦手としているクラスメートたちだ。
「なに……?」
 おそるおそる呼びかけると、リーダー格の少女が不敵な笑みを浮かべて口を開く。
「昨日、見かけたわよ。開放エリアで」
 その言葉を耳にしただけで、ルコの胸に不穏な予感が広がる。ユッカも思わずルコの傍らにぴたりと寄りそう。
「意外だったわ。まさかルコに年上の恋人がいるなんてね」
 他のふたりが甲高い声ではやし立て、ルコは顔を歪めた。
「しかも、Bクラスの男でしょう。軌道エレベータで別れたということは。信じらんない」
「ほんとほんと!」
 にやにや笑いながら声を上げるクラスメートたちに、ユッカが身を乗り出す。
「何がおかしいのよ!」
「ユッカ」
 慌てて親友の袖をひっぱる。そして、どきどきと脈打つ胸を抑えながらクラスメートたちに向き合う。
「何が信じられないの」
 ルコの反論を予想していなかったのだろう。リーダーの少女は眉を吊り上げたが、ひるむことはなかった。
「だって、Bクラスの男よ。せっかくAクラスに生まれたのに、そんな格下の男と付き合う理由がないじゃない」
「格下だなんて」
 震えながらもきっぱりと言い返すルコに、少女は苦笑いを浮かべる。
「Bクラスなんて、GET2を動かすためだけの存在じゃない。単なる労働力。そんな世界の人間と付き合うなんて時間の無駄だわ」
「しかも時間は倍の速さでどんどん年だけ取っていくしね!」
 追い打ちをかける言葉に、ルコもさすがに表情が崩れる。
「あんたたち、いい加減にしなさいよ!」
 ユッカが気丈にも声を張り上げる。
「ルコが誰と一緒に過ごそうがいいじゃない! あんたたちにとやかく言われる筋合いはないわ!」
「いやぁねぇ、あたしは忠告してるのよ」
 忠告。偽善に満ちた言葉にルコたちは警戒心をあらわに黙り込む。
「今はいいかもしれないけど、向こうは倍の速さで年を取っていくのよ。そんなの耐えられる? 5年経ったら向こうは10歳年を取ってるのよ」
「そんなのわかってる!」
 少女の言葉を掻き消すように叫ぶ。ルコの必死の表情にユッカも思わず涙ぐんで手を握ってくる。
「そんなこと……、あなたに言われなくても……」
 絞り出すようにささやくルコに、少女は目を細めた。
「本当にわかってるの……? 違う世界に生きるってこと。相手が向こうでどんな暮らしをしてるのか、知りもしないくせに」
 その言葉はルコの胸をえぐった。思わず震える手で胸を押さえる。そんな彼女の気持ちなどかまうことなく、クラスメートたちは勝手なことをののしり始めた。
「それにさぁ、Bクラスの人間ってなんか信用おけないよね。何か魂胆があるんじゃないの?」
「ただの気まぐれでしょ? Aクラス育ちのお嬢さまで遊んでるのよ!」
「それそれ。ルコが知らない間に浮気し放題なんだし――」
 その時、ルコの中で何かがはじけた。
「そんなこと――!」
 ルコの叫びにみなが口をつぐむ。
「そんなこと、しない!」
 吠えるような叫び。ルコはユッカの手を振りほどくと背を向けて駆け出した。
 自分の名を呼ぶ声を最後に、周りの音が掻き消えてゆく。もう、何も聞きたくなかった。自分が怖れていたこと、不安だったこと。目を逸らし続けていたものがすべてさらけ出された。
 それでも。
 泣きじゃくりながら、ルコは立ち止るとその場にへたり込んだ。
 それでも、言える。これからもラタオと一緒にいたい。その思いは嘘じゃない。

 だけど、「一緒」にはいられない。

「そんなの……、わかってる……! わかってるよ……!」
 青く染まる疑似天蓋に向かって、ルコはひとり叫んだ。


inserted by FC2 system

inserted by FC2 system

inserted by FC2 system

inserted by FC2 system