満天通信

【06 ハイブリッド】

 

 腕時計に目をやる。約束の時間は大幅に過ぎている。ルコは目を閉じて息をついた。表情は怒りというより諦めだ。
「ルコちゃん!」
 慌てふためいた声に目を開く。
「ごめんごめん、エレベータの発着に間に合わなくて……!」
 息せき切って走ってくるラタオにルコは唇を尖らせる。そして、おろおろしている彼の頬を人差し指で突く。
「太った」
「……ご、ごめん」
 両手を合わせるラタオにルコが眉をひそめる。
「昨日もお仕事遅かったんでしょう? 遅い時間に食べちゃうから……」
「ああ、でも食べないわけにはいかないしな」
 ラタオは疲れきった表情で溜息をつく。そんな彼の腕をさりげなく取ると歩き始める。
「ごめんなさい、疲れてるのに」
「いいよ。前回は仕事で会えなかったしさ。今日は絶対に来るつもりだったからな。有給もぎ取ったよ」
 まだ少し眠そうに目をこすりながら語るラタオを、ルコは心配そうに見上げる。
「お仕事ずっと忙しいね」
「ああ、現場の作業だけじゃなく、管理まで任されるようになったからなぁ。俺、デスクワーク苦手だし。給料はあんまり変わらないし。でもさ」
 と、組んだ腕にぎゅっと力を込められるのを感じてルコが思わず微笑む。
「がんばるよ」
「うん」
 ルコは高校2年生。17歳になった。軌道エレベータの保守点検ブロック班長を任されるようになったラタオは24歳。5歳だった歳の差は、7歳にまで開いていた。ラタオの仕事が忙しくなるにつれて開放日に休みが取れないことも増えており、そのことを気にする彼にルコは何よりも体調が心配でならなかった。
「学校はどう?」
「うん、そろそろ大学の見学とかに行かないと」
「いいところが見つかればいいな」
 すっかり常連になった水路沿いのカフェ。店員にも顔を覚えられ、笑顔で出迎えられる。もう2年か。そう思うと同時に、ラタオの時間も計算する。このままだと、自分が20歳になる頃には彼は30歳になる。
「あぁ、明日は新しい工業群で仕事だから憂鬱だなぁ」
 ゲートステーションに向かう道すがら、大きく伸びをしながらぼやくラタオにルコは身を乗り出した。
「新しい現場?」
「うん。やっぱり初めての現場は今でも緊張するよ」
「今日は早く寝てよ」
 心配そうに訴えるルコに、ラタオは相変わらず人のよさそうな笑顔で頷く。
「わかったよ、ありがとう」
「食事は不規則だし、ストレスも多くて本当に心配……」
「太っちゃったしな。がんばってダイエットするよ」
 そんなことを心配しているんじゃない。そう言いたげなルコの表情に気づいたラタオは笑って頭をなでる。
「ルコちゃんはいつまでも可愛くて俺は嬉しいよ。次の開放日までまたがんばれるよ」
 大きな手の温もりに黙り込む。
 自分はいつまでも若い。そうではない。彼がどんどん歳を取っていくのだ。追いかけていくしかない。追いかけていくしか。ルコは黙ってラタオに抱きついた。

「よかったね、今回は会えて」
「うん」
 ユッカの呼びかけに頷く。ふたりがいるのはアパレルショップのコーディネートルーム。ショップが扱う衣類のVR試着が可能で、好きなだけコーディネートを楽しめる。彼女たちは頭上に浮かぶカタログの番号をタッチして、ああでもない、こうでもないと服を選び続けている。
「ラタオさん、相変わらず仕事が忙しいの?」
「うん、いろいろ仕事が増えてるみたい」
「真面目な人だしねぇ」
 ルコはドルマンスリーブのブラウスから、カシュクールのカットソーへ着替えてみる。そして、ふぅと溜息をつく。
「ちゃんと食べて、ちゃんと寝てるのかなぁって」
「心配だよね。あっちへ行けないし」
 気の毒そうに眉をひそめていたユッカだが、ふとルコのコーディネートに目を丸くする。
「――ちょっと、ルコ」
 振り向いたルコに顔をしかめてみせる。
「大人っぽい服ばかり選んでるでしょ」
「えっ」
 言われて今試着している服を見やる。繊細なひだが美しいカットソー。確かに、大人の雰囲気だ。
「ラタオさんが年上だからさ、ちょっと背伸びしたくなるのもわかるけど、ルコはルコらしい恰好の方がいいんじゃないの? きっと、ラタオさんもそう思うんじゃないかな」
 思わず言葉を失って黙り込む。ユッカには何と言えば伝わるのだろう。会うたびに自分よりも早く老けていく彼に会う寂しさが。だが、
「きっと、ルコにしかわからないよね、彼の変化が。でも、ルコががんばりすぎることはないと思う」
 思いがけない言葉をかけられ、やや呆然とした表情で振り返る。ユッカは、彼女らしい鮮やかなピンクのニットで微笑んだ。
「私が言っても説得力ないかもしれないけど、お互い自然でいるのが一番いいんじゃないかな」
 そうだ。どれだけ大人のふりをしても、彼の年齢に追いつけない。むなしいだけだ。ルコは溜め込んでいた息を吐き出した。
「……そうする」
 ルコの返事にユッカは満足したように頷く。
「でも、私はちょっとうらやましいなぁ。ラタオさん、しっかりした大人で」
「子どもっぽい? ケンくん」
 ケンはユッカが交際している少年で、ふたつ年下だ。ルコの呼びかけに待ってましたと言わんばかりにユッカがまくし立てる。
「子ども子ども! 時々本当にいらいらしちゃう! わかって付き合ってるけど、本当に子どもだなって!」
 あまりの剣幕に思わず吹き出すが、それでもルコはしっかり者のユッカとおっとりとしたケンはお似合いだと思っている。
「ケンくんは早く成長してほしいね」
「まったくだわ!」
 ふたりはそう言って笑い合った。
 思い思いに買い物を済ませたふたりがショップを出た時だった。辺りがざわついている。通りに出ている通行人たちが不安そうに顔を見合わせ、口々に何か叫んでいる。
「なに?」
「どうしたんだろ……」
 状況がわからず、その場に佇んでいると遠くから警報が聞こえてくる。振り返ると、通りの奥からサイレンを鳴らしながら数台のトレーラーが向かってくるのが見える。赤色灯の不気味な明滅。固唾を呑んで見守るルコたちの前を走り去るトレーラー。
 ILIS
 車体のロゴにルコは口許を覆った。ユッカも眉をひそめて身を寄せる。
移民法監察局アイリス……!」
 と、不意に破裂音が響く。人々の悲鳴。破裂音は発砲音だった。
「伏せろ!」
 誰かの叫びに皆が一斉に道路に伏せる。ルコとユッカも頭を抱えて伏せた。ぎゅっと目を閉じ、体を震わせながらひたすらじっと耐える。怒号と何かが壊れる音で騒然となる中、やがて発砲音が止んだ。
 人々が恐る恐る顔を上げると、建物から武装した捜査員が出てくる。遠目でよくわからないが、非武装の男女が拘束され、連れて行かれていく。ルコとユッカは、その光景をまだ震える体を寄せ合って見守った。

「Aクラスの方はこんばんは、Bクラスの方はこんにちは。天球儀ラジオの時間です。ご一緒させていただきますのは、私ユェンです。今日はAクラスで痛ましい事件がありましたね……。ショッピングエリア【パレス・ガーデン】に隣接した雑居ビルに不法入船者が潜伏しているという通報により、
移民法監察局アイリスが突入。銃撃戦で2名が亡くなるという最悪な事態になってしまいました。潜伏していたビルの地下からは、幼い子どもも数人保護されているとのことです。まだ入船の経緯などはわかっていないようですが、人の命が失われてしまったことに深い哀しみを感じます……」

「え、じゃあ、昨日の不法入船者の銃撃戦に居合わせたの?」
「うん」

 深夜のチャット。ルコは浮かない表情でキィを打った。

「私たちは音しか聞こえなかったけど。アイリスのトレーラーが何台も来てものものしい雰囲気だったのが、急に」
「ルコちゃんも友達も怪我は?」
「大丈夫。怪我はないけど……」

 キィを打つ手が止まり、溜め込んだ息を吐き出す。後味の悪さが今も心の中にくすぶり続けている。怪我をした不法入船者たち。その後から聞こえてきた子どもたちの泣き声。もう二度と目にしたくない。そのうち、モニターに返信の文字が浮き上がる。

「最近になって増えたよな。不法入船者の事件。こっちも毎週のようにニュースやってるよ」
「そうなの?」
「うん。去年より明らかに増えてる」

 移民法により、自分が所属しているクラス船から離れる行為、「離脱」がそもそも厳しく禁じられている他、正当な手続きを踏まずに別船へ侵入する行為もまた重罪とされている。居住船であるAクラス船とBクラス船との間での不法侵入も重い犯罪行為だが、移民船GET2を航行させる「動力船」への接触、侵入は特にテロ行為とみなされ、現行犯で拘束された場合は宇宙への放出刑が決まっている。

「みんなさ、もう限界なんじゃないかな」

 不意にモニターに現れた言葉にどきりとする。

「締め付けが厳しすぎて、もう息苦しいんだよ」
「ラタオさん、そんなこと外で言っちゃ駄目だよ!」
「わかってるよ。でも、本当に限界が近いんだよ。俺だって苦しいもん」

 そうだ。その締め付けに苦しい思いをしているのは自分たちだって同じなのだ。だが、この船で生きて行く以上、ルールは守らなければ。どんなに理不尽なルールでも。
 理不尽。
 その言葉にぎくりとする。地球を出てから百年。百年もの間秩序を保ち、平和に宇宙を旅することができたのもこのルールのおかげだとしたら、理不尽とは言えない。だが、この苦しみはどうすればいいのだろう。新たな星を見つけるまで。ひたすら、待つしかないというのか。ひたすら。

 不法入船者による銃撃事件はしばらく世間を騒がせた。不法入船者たちが摘発される事件そのものは珍しくはなかったものの、やはり死傷者が出たことで人々は不安な気持ちを抱いたのだ。そして、皆はラタオと同じことを考えていた。もう、限界ではないのか、と。

 世の中がまだざわついている中、ルコはユッカと大学のオープンキャンパスに参加した。
 Aクラスでも人気の大学が集まるエリアに向かうと、多くの学生でにぎわっている。Aクラスは少子高齢化が進んでおり、ゆるやかに人口が減少している。そのため、大学も少ない若者を獲得するためにさまざまな個性を打ち出していた。
「すごいね」
 個性的なデザインの学舎を前にルコとユッカは目を丸くする。ゲートの前ではキャンパスを案内しようとする学生が派手な呼び込みもしている。
「やっぱり案内してもらった方がいいのかな」
「わかんないもんね」
 ふたりがきょろきょろしていると。
「ねぇ、あなたたち」
 女性の声に振り返る。そこには、穏やかな表情の若い学生が佇んでいる。やわらかなブラウンのロングヘアが印象的な女性はにっこりと微笑んだ。
「よかったら私が案内しようか?」
 どうしよう。ルコとユッカは顔を見合わせた。優しそうで安心感もある。ふたりは顔をほころばせると頷いた。
「お願いしようか」
「そうだね」
 その言葉に女性も嬉しそうな表情になった、その時。
「ねぇ、彼女たち、俺たちとキャンパス巡りしない?」
 突然背後から背の高い男たちに取り囲まれ、ルコたちはびっくりして辺りを見渡した。男子学生たちはおとなしそうなルコにわざと近付くと強引に手を取る。
「大丈夫、いろいろと丁寧に教えてあげるからさ」
「絶対俺たちの方が楽しいと思うよ!」
「でも――」
 ルコもユッカも迷惑そうに顔を歪め、女性に眼差しを投げかける。女性も眉をひそめると身を乗り出す。
「ちょっと、強引に連れていっちゃだめよ。怖がってるじゃない」
「えー、そんなことないよ、なぁ? 君たち」
 男子学生のひとりはあからさまに嘲りの表情で鼻を鳴らした。
「それにあいつ、ハイブリッドだしさ」
「そうそう」
 男子学生たちの言葉と見下した態度にルコの表情が一変する。
「それ、どういう意味ですか」
 突然、おとなしそうだったはずの少女が放った言葉に男子学生たちがぎょっとする。
「ハイブリッドだからどうだっていうんですか」
「ルコ」
 固い声を投げかけるルコにユッカが袖をひっぱる。女性の瞳にも驚きの色が広がる。
「どういうつもりでそんなことを言うんですか。どうして」
 どうしてと言われても。そんな表情を浮かべながらうろたえる男子学生を尻目に、女性が笑顔でルコの手を取る。
「決まりね! 私と一緒にキャンパス回ろう!」
 そこで、やっとルコは我に返ったようにはっとする。ユッカも女性の隣に寄り添う。
「お願いします!」
「ええ、行きましょう」
 3人は戸惑う男子学生たちを置いて意気揚々とキャンパスのゲートをくぐった。
「ありがとう、嬉しかったわ」
 女性の言葉にルコとユッカは顔を見合わせると微笑んだ。
「私はシャオ。この大学の2期生よ」
 シャオは講堂や図書館など、キャンパス内の施設を案内し、学部の特徴などを教えてくれた。
「すごいね、この大学。楽しく勉強できそう!」
 ユッカの言葉にルコも目を輝かせながら頷く。
「いろんな人が集まるんだろうね」
「ね」
 ふたりのわくわくした表情にシャオも嬉しそうに顔をほころばせる。
「気に入ってくれたら、ぜひ受験を考えてみて。ここは自由な校風だし」
「ちょっと自由すぎる人もいたけどね」
 そういってユッカが肩をすくめ、ルコも困ったように笑う。ふたりの表情に思い出したのか、シャオは少し寂しそうに笑った。
「さっきは本当にありがとう。もう慣れたけど、やっぱりあんなことを言われたら今でも辛いわ」
 そしてルコに向き直るとにっこりと笑いかける。
「ありがとう。あなたの強さに救われたわ」
 その言葉にユッカがルコの肩をつつく。
「ねぇ、ちょっとお話聞いてみたら」
「うん……」
「どうしたの?」
 きょとんとした表情で首を傾げるシャオに、ルコはまだ迷いながらも口を開く。
「あの、実は、私……」
 一度口をつぐみ、やがて意を決して顔を上げる。
「私、Bクラスの人と、お付き合いしているんです」
 予想もしていなかった言葉だったのだろう。シャオは数秒遅れて目を見開き、しばらく無言でルコの瞳を見つめて立ち尽くした。が、やがて手許の時計を見やると身を乗り出す。
「時間ある? よかったら少しお話聞かせてくれない?」
 ユッカを振り返ると彼女は力強く頷いた。三人はキャンパス内のカフェへ向かうと、窓際の明るいテーブルを囲んだ。
「いつからお付き合いしているの?」
「2年前からです。彼は4年経ったことになります」
 ルコは、2年前に軌道エレベータのゲートで偶然出会い、それから交際を続けていることを説明した。
「彼のお仕事は?」
「軌道エレベータの保守点検作業です」
「まぁ、エンジニアとしてはエリートじゃない」
 エリートという言葉にルコは目を丸くした。
「開放エリアの軌道エレベータに限らず、船をつなぐエレベータにたずさわるには高度な技術と機密を守れる人格も求められるのよ」
 確かに、GET2の運航を左右する仕事だけに、神経をすり減らしているという悩みを聞いていたルコは神妙な表情で聞き入った。
「真面目で誠実な人で安心したわ。良いお付き合いが続いてほしいわ」
「はい。……あの、シャオさんはハイブリッドでいらっしゃるんですよね?」
「ええ」
 シャオは紅茶を口にしてからおもむろに語り始めた。
「私の母はAクラス。父がBクラスだったの。ハイブリッドは生まれた時に両親が決めたクラスで育って、15歳で自分が生きるクラスを選ぶのだけど、私はAクラスを選んだの」
「それは……、どうしてですか?」
 ユッカがおそるおそる尋ねると、シャオはあいまいな笑みを浮かべてみせた。
「正直、14歳までAクラスで育ったから、Bクラスで暮らすことに不安があったの。興味はあったわ。Bクラスに行ってみたいという思いもあったし。でも、一番の理由は母のそばにいたいと思ったことね」
 母親。それは逆にいえば、父親を選ばなかったということだ。
「母も仕事をして自立はしていたけれど、やはり母をひとり残すことに不安があったし、それに……、父の裏切りを許せなかったし」
「えっ」
 裏切りという穏やかでない言葉にふたりがぎくりと体を震わせる。シャオは腕を組むと溜息交じりの笑いを漏らした。
「母の目が届かないのをいいことに、Bクラスで自由な恋愛を楽しんでいたようでね。でも、母は父を責めるようなことは言わないの。この結婚を選んだ以上、すべてを受け入れるっていう姿勢でね。でも、私は許せなかった」
 そして、不安に両目を見開いて凝視してくるルコに慌てて身を乗り出す。
「あ、心配しないで。Bクラスの男性がみんな不誠実だと言っているわけではないわ。私も幸せなハイブリッドたちをたくさん知っているわ」
 そして、バッグから
携帯端末シェルを取り出すとアドレス帳を見せる。
「私たちのようなハイブリッドはコミュニティを作っていて、色々と情報交換をしているの。いろんな形の家族がいるわ。幸せな家族、バラバラになってしまった家族、同じクラスの親としか交流のない子ども、本当にいろんな人がいるわ。でもそれは、ハイブリッドではない親子と変わりがないの」
 シャオの言葉に頷く。幸せな家族ばかりではない。それはどこでも同じことなのだ。ルコは固い表情のまま吐息をついた。やはり、クラスを越えた結婚生活は大変だ。生まれた子にも、辛い選択をさせることになる。ルコは、ぼんやりとした不安がはっきりとした形になっていくのを感じた。
「ルコさん」
 呼びかけに顔を上げる。シャオは柔らかな笑顔でじっと真っすぐ見つめてきた。
「彼とは自由に会えなくて寂しいわね」
 ルコは思わず胸が詰まってうつむいた。彼女にはわかるのだ。彼女も複雑な思いはあろうが、父親には自由に会えない。そして、先ほどのように心ない言葉を投げつけられてきたのだ。
「私……、母が辛い思いをしていることを知っているから、あなたのことを軽々しく応援はできない」
 慎重に言葉を選ぶ様子が声色からうかがえる。ルコは黙ったまま頷いた。
「……でもね、それでもやっぱりあなたのような子を応援したい」
 ルコは目を瞬かせると顔を上げた。シャオは変わらず静かに微笑んでいる。
「きっと、誰かを好きになるって、誰にも止められないのよ。母もそうだったんだと思う」
 誰かと誰かが好きになり、命をつないでいく。シャオもルコも、その一端のひとつだ。
「せっかく出会ったふたりなんだもの。どんな形でも幸せになってほしい。クラスの壁に、負けないで」
 静かだが力強い言葉にルコは目の前の視界が鮮やかに広がっていくのを感じた。
「ルコ」
 隣のユッカが囁くと肩をなでてくる。シャオやユッカの優しさが嬉しかった。自分には見守ってくれる人がいる。がんばってみよう。どこまでいけるかわからないけれど、自分がいけるところまでは。

 シャオとの出会いはルコの心に大きな変化をもたらした。だが、力をもらえた以上にもどかしい思いも覚えた。どうしてこんなことになってしまったんだろう。自分やシャオの母親のように悩み苦しんでいる者はたくさんいるはずだ。そう思うとやり切れなかった。
 深夜、ひとりきりになるとどうしてもこれから先のことを考えて憂鬱になってしまう。枕を抱えると顔を押しつける。ひとりで抱えるには大きすぎる問題。でも、自分ひとりの問題ではない。どうしたらいいんだろう。
 そんなことを考えていたルコの耳に、軽やかな音楽とユェンの柔らかな声音が聞こえてくる。ユェンの声を聞いていると不思議と落ち着く。耳を澄ませて聞き入っていたルコだったが、やがて彼女は思い立ったように体を起こした。

 軽やかなピアノ曲をバックに、ユェンが穏やかに語りかける。
「さぁ、今夜のリスナーズボイス。皆さんからのお便りをご紹介しますね。ラジオネーム、オリオンさんからのお便りです。『こんばんは、ユェンさん、私は今、悩んでいます。私はAクラスで暮らしていますが、Bクラスの人を好きになってしまいました。会えるのは開放日の時だけ。これから先も一緒にいられるのか、それが最近の悩みです。彼も同じように思ってくれているのか、それも不安ですが、一番は私たちがどんなに望んでも一緒には暮らせないことです。最近、ハイブリッドの人と知り合い、ご両親のお話を聞きました。ふたつに分けられた時間で家族の絆を作るのはとても大変だと感じました。ユェンさん、どうして、GET2の船はふたつに分かれているのでしょう。これからも、私のような悩みを持つ人が絶えず生まれてくるのです。大きすぎる悩みに、心が疲れてきました。こんな私に、何かアドバイスをいただけませんか』」
 ユェンの言葉が途切れ、ピアノの旋律だけが流れる。やがて聞こえてくる、小さな溜息。
「私もこの天球儀ラジオを続けて十年近く経ちますが、このお悩みはなくなることはありませんね。毎回、とても苦しい気持ちになります。そして、毎回自分でも納得のできるアドバイスができなくて、とても悔しい思いをしています。オリオンさんはおいくつの方かわかりませんが、きっと悩みに悩んでおられるのでしょうね。私がひとつだけ言えることは、オリオンさんのようなお悩みを抱える方はたくさんいること。そして、あなたは決してひとりじゃないということ」
 一度言葉を切り、息を整えて再び声を発する。
「ひとりの思いがたくさん集まれば、大きな力になると私は思うのです。変えていかなければ。これだけの人々が『おかしい』と考えているのですから。もちろん、秩序は必要です。この秩序があったからこそ、新たな移住先を探すこの航海はこれまで平和に続けてこられたわけですから。……でも、私、思うんです」
 軽快なピアノ曲が終わり、しばらく無音の状態が続く。
「GET2が地球を旅立って百年。移住可能な惑星は、本当に見つかっていないんでしょうか。――ただのひとつも?」

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